向丘小校区の史跡

 

堺市立向丘小学校

〒593-8303 大阪府堺市西区上野芝向ヶ丘町6丁7−1

 

 

 

 

 

 

 

 


1.文殊塚古墳:上野芝向ヶ丘町

 全長58m、後円部の高さ5mの前方後円墳です。5世紀中頃の古墳で、埋葬施設や副葬品などは不明ですが、円筒埴輪片が採集されています。百舌鳥古墳群の南端部にあり、百舌鳥野南古墳群の主墳とも考えられています。現在、国の史跡に指定されています。

 

2.向ヶ丘八幡宮:上野芝向ヶ丘町

 昭和8年(1933)に浅川文左衛門氏が、百舌鳥八幡宮分霊所として八幡様と土地の神様をお祀りするようにしたのが始まりです。昭和28年に自治会に譲られて、現在は自治会が所有する形になっており、秋祭りも行われています。

 

 

3.地名「向ケ丘」

 阪和線の履中陵古墳の前には美しい芝生が敷き詰められていて、美しい台地になっていたので、昔から神芝と呼ばれていました。それが「上芝かみしば」となり「上の芝」と呼ぶようになって「上野芝」となりました。阪和線をはさんでその先(東側)の台地は、自然に「向ヶ丘」と呼ばれるようになったようです。

 

 

 

4.月見橋

 少し見にくいですが、 右の石柱には「月見橋」と書かれています。向かい側にはコンクリートの欄干が見えています。 でも、川は流れていません。実は、かつてこのあたり一帯は一面の田んぼでした。道の向こうには百済川が流れています。この橋は百済川にかかっていただけでなく、このあたりの田んぼの上にもかかっていたのです。周辺が開発されて欄干の一部だけが残されてしまったのです。名前の通りかつてはこの橋から綺麗な月を見ることができたのでしょう。

 

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