津久野小校区の史跡

 

 

堺市立津久野小学校

〒593-8322 大阪府堺市西区津久野町3丁14−11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.つく八幡宮:津久野町

 神功皇后が朝鮮半島に出征し、帰国時に立ち寄った際に、輦車れんしゃ(人力車)を駐車した場所です。850年に、そこに応神天皇をお祀りしたのが始まりです。また源義経が八嶋に渡る途中に暴風にあい、弁慶などを連れて踞尾に避難したときにこの神社をお参りして、鞍を奉納して武運長久を祈願しています。その時に義経が腰かけたと言われている「義経腰かけ石」が境内に置かれています。


※1961年:踞尾神社からのながめ

2.万年橋:津久野町

 1930年に鉄筋コンクリートで造られた橋です。万年までも長く橋がもてるようにとの願いから造られたのです。が、架けられていた石津川の蛇行が改修されたために流れがなくなり、橋だけが残されたのです。

3.石津川三日月湖跡:下田町

 かつての石津川の蛇行は激しく、そのため洪水もよく起きていました。そこで昭和30年頃にこの蛇行をなくすために、 石津川の川筋の付け替え工事をしました。その際に付け替え前の川筋だけが残りました。それが「三日月湖」と呼ばれており、その跡が写真のように現在でも残されています。石津川の左側に半円を描いているのが三日月湖跡で、現在は遊歩道になっています。

4.地名「津久野」:津久野町

 神功皇后(応神天皇の母)が朝鮮との戦いから帰って来た時、この地に舟をつけて上陸したことから「着く王」と呼ばれたという説。仁徳陵・履中陵・反正陵古墳の造営の際に、朝夕礼拝するのに蹲踞(つくばい)の礼をもって行った。それが「蹲尾(つくばい)」となり「踞尾」となって「津久野」になったという説など。

 

 

5.けんのひばり:神野町

 遣唐使が帰国する時に、「ひばり」をお土産に持って帰りました。それを踞尾村の「神野」の原野に放ちました。ひばりは舞い上がり、よい声で鳴いたそうです。そこで、踞尾村の人たちはこのひばりを「遣唐のひばり」と呼んだそうです。後に、この原野を「けん」と呼ぶようになり、この地の字名になっていました(のあたり)。

 


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