前回の山口家住宅から少し南に歩きましょうか。そこから少し東に入ると、西本願寺堺別院の前に出ます。
このお寺の本堂は、堺市で一番大きな木造建築です。昔から堺の市民に「北の御坊さん」とよばれて親しまれてきています。私の子どものころは熊野小学校区に住んでいたのですが、どこから見てもこの北の御坊さんの大きな屋根が見えていました。それだけ私には印象の強いお寺として心に残っています。
さて、このお寺は覚如上人によって建てられました。しかし、寛政10(1798)年の火事で一度焼けています。文政8(1825)年にふたたびび建てられたものが現在見られる建物です。
ところで、慶応4(1868)年、大鳥、泉、南、日根の四つの郡をふくめて堺の町は堺県となりました。さらに翌明治2年には、河内県や狭山藩も堺県に、明治4年には、伯太、岸和田、丹南、吉見の各県も堺県にふくまれるようになっています。そのときにこの西本願寺堺別院に堺県庁がおかれました。堺県の役所ですね。
その後も堺県はふくらみ、明治9年には現在の奈良県まで堺県になっています。「堺かるた」に
「和泉 河内 大和 あわせて 堺県」
とあるのがこのときの堺県のことです。
しかし、明治14年には、堺県は大阪府にふくまれるようになり堺県が消え去るとともに、堺県庁もこの北の御坊さんからなくなりました。
現在、の境内に入ると、親鸞上人と蓮如上人の銅像も建てられています。また、与謝野晶子の歌碑とも出会うことでょう。