7 みょう国寺こくじ蘇鉄そてつ

 前回の西本願寺にしほんがんじさかい別院べついんから少し南に歩いて行きましょう。

妙国寺本堂と大蘇鉄

 阪堺電車「妙国寺前」ていりゅう所から東へ行くと、日蓮宗にちれんしゅうの「妙国寺」があります。このお寺には、大きな蘇鉄の木があります。この木は今から四百三十年ほど前に織田おだ信長のぶなが安土あづちじょうてたときに、めずらしいものが好きな信長がこの蘇鉄をとても気に入り、安土城に移しています。

 しかしある夜、しろのどこからか、なき声とともに「堺へ帰ろう、堺へ帰ろう」という声が聞こえてきます。だれの声かとふしぎがった家来けらいが調べてみますと、堺から移した蘇鉄ではありませんか。家来は、このことを信長にうったえますと、信長は「そんな木はすぐに切りたおしてしまえ」と命じました。家来は、切りたおそうと刃物はものを入れますと、何と蘇鉄のみきから真っ赤な血が流れ出しました。気味がわるくなったのか信長は、この蘇鉄をもとの堺の妙国寺にもどしたということです。

 この話は、「堺音頭おんど」の二番で
 「こいし なつかし 蘇鉄でさえも
    泣いて帰ろと ないて帰ろと いう堺」
と歌われているほど、かつての堺市民にはとても親しまれたお話なのです。

 この蘇鉄は、ふたたび堺にもどされてからは、この地で現在まで育ってきています。でも、現在までに大坂夏のじんでの堺のき打ちや、第二次世界せかい大戦たいせんでの堺大くうしゅうなど、二度の危機ききをくぐってきており、本堂ほんどうけてしまいましたが、この蘇鉄だけはその火事にもまけずに現在まで残っています。

与謝野晶子の歌碑

 このお寺に行くと、しき地は戦前よりも小さくなりましたが、本堂の前にしっかりと育っている蘇鉄を目にされることでしょう。

 なお大正たいしょう13年にこの蘇鉄は天然てんねん記念物きねんぶつに指定されています。先にみきから赤い血が流れたと書きましたが、酸化さんかてつだろうということです。

 

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