17 南宗寺なんしゅうじ

 ふたたび紀州きしゅう街道かいどうにもどって、さらに南へ向かいましょう。阪堺電車の「御陵前ごりょうまえていりゅう所の手前を東にまがります。そこに見えてくるお寺は「南宗寺」です。

南宗寺総門

 この寺は、堺の町をささえる戦国せんごく大名だいみょう三好みよし長慶ながよしが父親三好元長をとむらうためにてたお寺で、1557年に南宗寺としました。その後、この寺の住職じゅうしょくだった沢庵たくあん和尚おしょうが、大坂なつじんけた南宗寺を1619年に再建さいけんしました。

 この寺で有名なものに「かれ山水さんすい」があります。禅宗ぜんしゅうのお寺には欠かせないのがこの枯山水で、南宗寺も禅宗なので枯山水がつくられています。下の写真がそれです。

 一番おくを山としてたきが流れ、上流から下流へとしだいに川はばが広がってきます。そして最後は海に流れこんでいきます。途中とちゅうには岩があったり、舟がうかんでいたりします。水をまったく使わずに、全てを石で表わしているのです。

南宗寺枯山水

 おかれた岩は時には島に見えることがあるかもしれません。見る人の心一つで何にも見えるのだそうです。第二次世界大戦でこの庭も一度は焼けてしまいましたが、かろうじてのこされた石組いしぐみをほり出して、現在の枯山水を復元ふくげんされたのです。

 見る人の心といえば、もう一つ、「八方はっぽうにらみのりゅう」が天井てんじょうにえがかれている仏殿ぶつでんが、このお寺にはあります。天井を見上げてみると、この龍はどこから見ても、見ている人をにらんで見えるところから、このようにばれているのです。何か自分の心に悪い部分をもっていると、この龍はにらみ返してくるように見えるのかもしれません。

 さて、もう一つ実相じっそうあんとう茶室ちゃしつがあります。この茶室は、塩穴寺しおあなでらにあったせんのりきゅうのつくった茶室を明治時代に南宗寺に移したものです。ただ、この茶室は第二次世界大戦で焼かれたので戦後建てなおされたものなのが残念です。

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