前回、この南宗寺にかかわって、三好長慶と沢庵和尚が出てきました。今回は、さらにこの寺にかかわる人についてふれていきましょう。
まずは前々回に出て来た千利休ですが、この人物については前に書きましたので、ここでは茶道を完成させた人で、お墓が南宗寺にあることだけ書いておきましょう。
千利休に茶の湯を教えたのが武野紹鴎です。堺の商人でしたが、多くの堺の商人にも茶の湯を教えています。利休もその一人だったのでしょう。利休が紹鴎に弟子入りする時に、利休にごみ一つない庭を掃除させたところ、利休は木をゆすって落ち葉をちらし、風情を出したのですぐに弟子にしたという話が残っています。この武野紹鴎の供養塔もこの寺に建っています。
先に出た三好一族の墓も、この寺に建っていますが、何といっても、ここ南宗寺でわすれてならないのは、徳川家康のお墓があることでしょう。大坂夏の陣(徳川方と豊臣方との大坂城周辺での戦い)のときに、ここ南宗寺で家康はなくなったというのです。豊臣方の後藤又兵衛という武将が敵をさがしていたときに、一丁のかごを見つけました。家康かと思って槍を突き刺しぬいてみたところ槍には血が付いていません。かん違いかと思って向こうに行ってしまいましたが、家康は槍でさされ抜かれる時にさっと槍についた血をふき取ったというのです。家康は床下に2、3日かくれていましたが死んでしまいました。それでここに家康のお墓があるというのです。
その証拠に、夏の陣の後、二代将軍の徳川秀忠と三代将軍になる家光とが堺の町に来て、この南宗寺の坐雲亭の2階に上って堺の復興状況を見ています。
また、南宗寺に使われてている瓦には、徳川家の葵の紋が入っており、この二人が寄進したものかもしれません。