前回の南宗寺から少し東へ行くと、大安寺に出ます。この寺の本堂は総檜造りというとてもぜいたくな建て方をしています。本堂の上段の間は、床の間や出書院など立派なおやしきの客間そのもので、お寺の本堂とは思えないつくりです。
それもそのはず、ルソン(現在のフィリピン)との交易(品物の売買い)をしていたルソン助左衛門という大商人が、めずらしいつぼやかさなどを大名たちに高く買ってもらい、大金持ちになりました。それを豊臣秀吉ににらまれたため、日本を去るときに、この寺にゆずった建物だからだと言われています。あまりに立派すぎる建物なので、「立派すぎるとねたまれる」と当時の堺の代官の松永久秀は、この本堂の柱に刀で切りつけて、きずをつけたとも言われているのです。このきずは現在でも見ることができます。
このお寺のふすまや板戸に描かれた絵もみごとなものです。襖絵とよばれています。二六羽のツルの絵、フジやサルやヒノキの絵など、構図もみごとな絵を描いています。さらに、「枝添えの松」とよばれている絵には、こういう話が残されています。
有名な狩野派の絵師が、この寺で松の絵をかいて江戸に向かったところ、鳴海という現在の名古屋市付近で松を見て、一枝かき忘れていることに気付きました。そこで大安寺に引き返して小枝をかいて、ふたたび江戸に向かったというのです。そこから「枝添えの松」とよばれているのです。かつての国語の教科書にもこの話が「苦心の絵師」としてのっていたそうです。
庭には、利休好みの虹の手水鉢とよばれている石の鉢が置かれています。手水鉢の外側の石が虹のように輝く石をちりばめているところからそうよばれているのです。