浜寺公園駅からほぼ真東の方角に歩きましょう。国道二六号線と常磐浜寺)線とが交わるところに、堺市立浜寺中学校があります。この中学校付近の敷地一帯をほると、昔の土器のかけらが出てきます。ここが、四ツ池遺跡です。
今から二千数百年ほど昔に、このあたりにムラがありました。縄文式土器といって縄目のもようの入った土器を作っていた時代の終わりごろ(晩期)から、その後の弥生式の土器を作る時代までのムラがあり、人々がくらしていました。海がこの近くまであったので、そこで漁をしたり、田をつくって米作りをしたりしていたようです。
この遺跡には、百棟近い竪穴住居や掘立柱の建物が建っていたと考えられています。また竪穴住居は直径五メートルほどの住まいで、床の中央には火を使ったあともあったとのことです。
このムラで発見された大事なものは、縄文式土器を使っていた時代の終わりごろのつぼのなかに、炭になった籾が見つかったことです。それまでは、米作りは弥生式土器の時代になって作られ始めたといわれていたからです。この籾の発見で、わが国で米作りが行われ始めた時期が少し早くからだということになりました。
ここでは、稲かりなどに使われていた石ぼうちょうや、狩りをするときに使われた矢じりなどが多く発見されました。この石の道具は、サヌカイトとよばれる石を動物のほねでたたいて加工していました。このサヌカイトという石は、堺の東南東にある二上山のふもとでとれる石で、この石から矢じりなどの道具を作る集団が、ここ四ツ池の村にもあったのでしょう。
また、つり針などの漁具も多く見つかっており、ムラも海のそばにあったことから漁もさかんだったのでしょうね。
この遺跡は、近畿地方の代表的な弥生遺跡で、中心部の十万平方メートルは国の史跡に指定されています。