30 土塔どとう

 前回に「行基ぎょうき」を取り上げたので、今回はちょっと土塔にり道をしてみましょう。

 泉北せんぼく高速こうそく鉄道てつどう深井駅ふかいえきをおりて、東の方に10分あまり歩くと、土塔町公園にでます。門をくぐるとそこには、瓦でおおってある小山にであいます。これが「土塔」です。。

文字瓦「?廣波未」

 行基は、前回にお寺を49てたと書きましたが、この土塔は、実は行基の建てた大野寺の境内けいだいに建つ塔なのです。奈良や京都に行くと多くのお寺で見かける三重塔さんじゅうのとう五重塔ごじゅうのとうと同じです。この土塔は十三重の土のとうです。塔というのは、仏教を広めたおしゃかさまのほねをうめたおはかです。このお墓をストゥーバといいました。仏教がインドから中国に伝わり、「卒塔婆そとうば」とよばれました。これがわが国ではかんたんに「塔」とよぶようになったのです。。

土塔

 土塔は、写真でもわかるように、ピラミッドのように四角すいの形をしています。一辺が53メートルほど、高さは8、6メートル以上あります。その上には塔のような建物が建てられていたと考えられています。。

 もともとは、この塔を6万枚ものかわらでおおっていましたが、その瓦には、人の名前がほられていたのも1200枚ほどありました。瓦を寄付きふした人や土塔をつくるのにはたらいた人たちの名前だったのでしょう。行基をうやまう人たちがたくさん集まって造られたのです。。

 「行基ぎょうき菩薩ぼさつ行状ぎょうじょう絵伝えでん」には、「大野寺御年60さいじん4年十三重土塔在之」と書かれ、土塔の絵もかかれています。 行基が60さいのときに土塔を建てたということでしょう。 この「絵伝」 の写しは、 堺市博物館はくぶつかん でも見るこ とができる ので、実際じっさい に見られれ ばいいと思 います。。

 

 なお、こ の土塔は、 国の史跡しせき指定していされて おり、調査ちょうさ 、平成20年に復元ふくげん をされたも のです。

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