前々回の家原寺から北北東方向に向かいますと、町中に平たい大きな山が見えてきます。これが仁徳天皇の古墳ではないかと言われている大仙古墳です。
なぜ誰のおはかなのか分からないかといえば、現在、国によって、この古墳の発掘を認めてもらえないから、中に誰が葬られているかが分からないからです。ただ、すでに盗掘といって、むかし誰かに中を掘られてしまって、石のひつぎとともに入れられていた副葬品(葬られていた人の使っていたものなど)がなくなっているらしいことは分かっています。だから掘っても何も出てこないかもしれません。でも確かめてみることは大事なことです。
この古墳の正式な名前は「百舌鳥耳原中陵」といいます。実は「日本書紀」と言う本の中に、次のようなことが書かれているのです。古墳を造る場所を決めるためにこの場所に仁徳天皇が来られた時に、シカが走ってきて突然倒れました。調べてみると、シカの耳からモズが飛び去ったのです。シカの耳を見ると、モズに食べられてしまっており、この小さなモズの勇ましい働きをほめて、この地を「百舌鳥耳原」とよぶことにしたそうです。
この古墳は、長さが486メートル、高さは、水面から前方部が34メートル、後円部が36メートルの前方後円墳とよばれる形をしています。しかもその周りには、三重の堀でかこまれていて、横を歩いていても、古墳の形はまったく分かりません。それぐらい大きいのです。おまけに周りには15の培塚(けらいたちのお墓や副葬品が入れられている)がつくられています。
現在、この古墳の周りには遊歩道がつくられており、一周で2850メートルもあります。ここを散歩している方のすがたをよく見かけます。市民のいい健康といこいの場所になっています。私も時々孫といっしょに来るんです。