31 大仙だいせん古墳こふん仁徳にんとくりょう古墳こふん

 前々回の家原寺えばらでらから北北東方向に向かいますと、町中に平たい大きな山が見えてきます。これが仁徳天皇にんとくてんのうの古墳ではないかと言われている大仙古墳です。

仁徳天皇陵:絵葉書より

 なぜだれのおはかなのか分からないかといえば、現在、国によって、この古墳の発掘はっくつみとめてもらえないから、中に誰がほうむられているかが分からないからです。ただ、すでに盗掘とうくつといって、むかし誰かに中をられてしまって、石のひつぎとともに入れられていた副葬品ふくそうひん(葬られていた人の使っていたものなど)がなくなっているらしいことは分かっています。だから掘っても何も出てこないかもしれません。でもたしかめてみることは大事なことです。

 この古墳の正式せいしきな名前は「百舌鳥もずみみ原中はらなかのみささぎ」といいます。実は「日本にほん書紀しょき」と言う本の中に、次のようなことが書かれているのです。古墳を造る場所を決めるためにこの場所に仁徳天皇が来られた時に、シカが走ってきて突然とつぜんたおれました。調しらべてみると、シカの耳からモズがび去ったのです。シカの耳を見ると、モズに食べられてしまっており、この小さなモズのいさましいはたらきをほめて、この地を「百舌鳥耳原」とよぶことにしたそうです。

仁徳天皇陵:絵葉書より

 この古墳は、長さが486メートル、高さは、水面から前方部ぜんぽうぶが34メートル、こう円部えんぶが36メートルの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんとよばれる形をしています。しかもそのまわりには、三重さんじゅうほりでかこまれていて、横を歩いていても、古墳の形はまったく分かりません。それぐらい大きいのです。おまけに周りには15のばいちょう(けらいたちのおはかや副葬品が入れられている)がつくられています。

 現在、この古墳の周りにはゆう歩道ほどうがつくられており、一しゅうで2850メートルもあります。ここを散歩さんぽしている方のすがたをよく見かけます。市民のいい健康けんこうといこいの場所になっています。私も時々まごといっしょに来るんです。

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