33 竹内たけのうち街道かいどう

 前々回の大仙だいせん古墳こふんの北側から南海なんかい高野こうやせんをこえてえのき小学校の北側に出ると、そこはもう竹内街道です。竹内街道は、堺と奈良ならとをむすぶわが国でもっとも古いかんどうです。国道第一号と言えるかもしれません。

金岡神社前

 この道は、堺の大小路筋おおしょじすじ(熊野ゆや小学校の前の道路)から始まっています。大小路ばし(大小路筋と旧土きゅうど居川いがわとの交わった所にあった橋)から東へ通り榎小学校の北を通り、阪和はんわせんをこえます。東へ進んで金岡かなおか小学校の北側を通り金岡かなおか神社じんじゃの前へと出ます。そこから大泉おおいずみ緑地りょくちの南側の道へ、そして松原市に入ります。羽曳野市はびきのしを通り、太子町たいしちょうから竹内たけのうちとうげをこえて奈良県葛城かつらぎに入ります。約26キロメートルの街道かいどうです。。

竹内街道道標

 わが国の古い本である「日本にほん書紀しょき」(720年)には、「難波なにわより京にいたる大道をく」と書かれています。「難波」というのは現在の「大阪」のことで、「京」というのは現在の奈良の「明日香あすか」のことです。また、同じ本の天武天皇てんむてんのう元年(672)のところには、「西之方をのぞみ見れば、大津おおつ丹比たんび、両の道より、いくさしゅういたる」と書かれており、壬申じんしんらんにも使われていたようです。それほど古くからあった道なのです。また、百舌鳥古墳群と古市古墳群のほぼ中央を通っている道なので、二つの古墳群をつないでいたのかもしれません。街道ができた当時は、それだけ重要じゅうような道であったことがよくわかります。。

 奈良なら時代(710~794年)よりも古い飛鳥あすか時代じだいから、中国などの進んだ文化や宗教しゅうきょう仏像ぶつぞうや大事な品物などをわが国に伝えていたけんずい 使といわれる学者やそうたちが、船で帰って来た時に、この竹内街道を通って来るました。そして、当の国の役所のあった飛鳥あすかまでそれらを持ち帰っていたのです。

金岡小学校正門前

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