47 ほう道寺どうじ

法道寺全景

 前回の桜井さくらい神社じんじゃから元のバス道にもどりましょう。そこからさらに南向いて30分たらず歩くと鉢ヶ峯はちがみね公園こうえん墓地ぼちにでます。バス道に沿って右に曲がっていくと、右に写真のような階段が見え、そこをのぼっていくと法道寺の山門にたどりつきます。

 鉢ヶ峯公園墓地は、昭和20(1945)年の戦災せんさいで堺の町がけてしまったので、堺市内のお寺のおはかを移して昭和23年に完成しました。「鉢ヶ峯」という地名は、法道上人が大切にしていたはちをうめたということから名づけられたのです。

法道寺山門

 この墓地の前につ法道寺は、天智てんち9(670)年に法道上人がひらいたお寺で、49ものお寺があったとても立派りっぱで大きなお寺だったのです。しかし豊臣とよとみひでよしによってかれてからはさびれていったようです。

 現在残っている建物としては、多宝塔たほうとう食堂じきどうの2とうですが、この多宝塔は、堺市内でのこっているただ一つの塔といえるでしょう。屋根やねがわらに残されていた銘文めいぶんに、正平23(1368)年に建てられたと書かれていることから、室町時代(1338~1573年)の初めごろに建てられたことが分かります。2階を支えているひじには、シャチがほられています。

 また、食堂は、「じきどう」と読むのですが、このお寺のおぼうさんが食事をする建物です。鎌倉かまくら時代じだい(1192~1333年)後半に建てられたもので、

法道寺多宝塔

この時代のものとしては貴重きちょうなものです。屋根が低くどっしりと建っています。多宝塔とともに、国の重要じゅうよう文化ぶんかざいになっています。

 さらに、このお寺で保存ほぞんされている「阿弥陀あみだ三尊図さんぞんず」「金剛こんごう力士像りきしぞう」は、ともに、堺市の指定してい有形ゆうけい文化財になっています。

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