前回の桜井神社から元のバス道にもどりましょう。そこからさらに南向いて30分たらず歩くと鉢ヶ峯公園墓地にでます。バス道に沿って右に曲がっていくと、右に写真のような階段が見え、そこを登っていくと法道寺の山門にたどりつきます。
鉢ヶ峯公園墓地は、昭和20(1945)年の戦災で堺の町が焼けてしまったので、堺市内のお寺のお墓を移して昭和23年に完成しました。「鉢ヶ峯」という地名は、法道上人が大切にしていた鉢をうめたということから名づけられたのです。
この墓地の前に建つ法道寺は、天智9(670)年に法道上人がひらいたお寺で、49ものお寺があったとても立派で大きなお寺だったのです。しかし豊臣秀吉によって焼かれてからはさびれていったようです。
現在残っている建物としては、多宝塔と食堂の2棟ですが、この多宝塔は、堺市内で残っているただ一つの塔といえるでしょう。屋根瓦に残されていた銘文に、正平23(1368)年に建てられたと書かれていることから、室町時代(1338~1573年)の初めごろに建てられたことが分かります。2階を支えている肘木には、シャチがほられています。
また、食堂は、「じきどう」と読むのですが、このお寺のお坊さんが食事をする建物です。鎌倉時代(1192~1333年)後半に建てられたもので、
この時代のものとしては貴重なものです。屋根が低くどっしりと建っています。多宝塔とともに、国の重要文化財になっています。
さらに、このお寺で保存されている「阿弥陀三尊図」「金剛力士像」は、ともに、堺市の指定有形文化財になっています。