前回の多治速比売神社の北を、泉北環状線という道路が通っています。そこを東に進み泉北高速鉄道をこえてさらに東に進むと、やがて中区の辻之というところに出ます。そこから北向きに進むと上之に入り、坂を登っていくと、やがて正面に神社が見えてきます。そこが、陶荒田神社です。
この神社は、崇神天皇7年に建てられたといわれていますが、紀元前一世紀のことで、神話の時代と考えていいでしょう。陶邑の大田の森に住んでいる太田田根子が、崇神天皇に神主として選ばれました。太田田根子の祖先の神さまをまつるために大田の森に社を建てたのが、陶荒田神社です。
ところで、このあたりには、古墳時代に陶器千塚とよばれているほど古墳がたくさんありました。横に穴をほって遺体をおさめたような古墳です。現在の陶器北、辻之、東山にあたります。周辺にいくつかのムラがあったのでしょう。そのムラの周辺から現在の泉北ニュータウンにかけてたくさんの須恵器がつくられていました。「陶邑窯跡群」とよばれている窯跡が400も発見されたのです。当時は、1000基ほどの窯が造られていたのではないかと想像されています。
この「陶器」を作っていたことで「陶邑」とよばれていたようです。また、この神社の由緒書には、大田田根子の子孫である、このあたりをおさめていた荒田直が祖先の神さまをまつったことから、地名の「陶」と名前の「荒田」から「陶荒田」とよぶようになったとも書かれています。このあたりは、神話や伝説と事実とがまざっていて、どこまでを信じていいかわかりません。でも「陶器」と「荒田」とが関係していたようです。