53 百舌鳥もず八幡宮はちまんぐう

 西にし高野こうや街道かいどうから国道310線に入り、さらにうめきた南の信号から南東におれてさらに右におれていくと、その先には百舌鳥八幡宮があります。

百舌鳥八幡本殿

 毎年9月の仲秋ちゅうしゅうの名月のころに行われる「月見つきみまつり」で、何台ものふとん太鼓だいこが地元の人たちにかつがれてこの八幡宮に奉納ほうのうされるのを見られた人は、たくさんおられると思います。ふとん太鼓をかついでいきおいよく階段かいだんをかけあがるのはとてもいさましい感じがしますね。

 この八幡さんは、じんぐう皇后こうごう朝鮮ちょうせん半島はんとうの国とのたたかいからもどってこられたときに、この百舌鳥の地で人々を守っていつまでも平和な国をとちかったそうです。きん明天皇めいてんのう(532~571年)の時に、この地域ちいきを「万代もず」と名づけられて神社をてたと、伝えられています。

百舌鳥八幡宮拝殿

 1399年の大内おおうち義弘よしひろの乱や1615年の大坂おおさかなつじんなど、かさなるいくさのためにしだいにさびれていきました。しかし、この地域の人たちにとって大事な神社であることはかわりません。そんな中、明治8(1875)年明治めいじ政府せいふ大久保おおくぼ利通としみちが、この神社の拝殿はいでんがくを書かれました。また、江戸えど時代には、大坂おおさか城代じょうだいがかわるたびにこの神社におまいりに来られていましたし、毎年行われている月見祭には、堺町さかいまち奉行ぶぎょうも来られたとのことです。

 

百舌鳥八幡大階段

 境内けいだいには多くの木が立っていますが、中でも拝殿の前のクスノキは、樹齢じゅれいが800年という古いもので、みきは5メートルあまり、高さは25メートルあり、大阪府の天然てんねん記念物きねんぶつに指定していされています。

 なお、「月見祭」というのは、農作物のうさくもつがよく実りますようにというねがいと、満月まんげつとをおいわいするお祭りで、まわりの地域から重さが30トンもあるふとん太鼓を約70人の人たちがかつぎます。

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