今回は、タイトルのとおり、二つの地名についてふれましょう。「船尾」は、阪堺電車の停りゅう所の名前にもありますね。この二つの地名の共通なものは何でしょう。
実は、共に「神功皇后」に関係しています。「神功皇后」といってもあまり聞いたこともないでしょう。第14代仲哀天皇の皇后です。「日本書紀」という昔の本には、仲哀天皇がなくなられた後の政治を神功皇后が行い、さらに朝鮮半島に兵を出して新羅という国をせめたことが書かれています。一つの伝説です。
この朝鮮半島の国との戦いに勝って、たくさんの船をひきいてわが国に帰ってきました。まずは九州にたどり着き、そこから現在の堺に帰ってきました。堺では、その神功皇后ののった船の舳先(船の一番先のところ)を松の木につなぎました。その松の木のあったところが「舳松」です。現在の協和町にあたります。「舳松社会教育会館」にその名前が残されています。
そして、その船団の最後の船をとめたところから、「船の尾」つまり「船尾」という地名が生まれたのです。「船尾」は、阪堺電車の「浜寺駅前」の次の停りゅう所の名前として残されていますが、地名としては現在の「浜寺船尾町」として残されています。
このように、堺市内の地名には、伝説から生まれたものがあるのです。現在ではそのいわれもほとんどわすれられていますが、あらためて知ると地名のふしぎさを感じることでしょう。
なお、百舌鳥古墳群とともに世界遺産への登録をめざしている古市古墳群が、羽曳野市などにありますが、その中心になっている応神陵古墳の応神天皇は、この神皇后の息子だそそうです。
次回も、さらに堺市内の地名を見ていきましょう。