前回に引き続いて「曽呂利新左衛門」をとりあげましょう。堺の愛すべき人物ですよ。私は、一休さんや吉四六さんと並べられるほどだと思っています。それほどのとんちの知恵者なんですね。堺の千利休や与謝野晶子と肩を並べてもいいのではとも思います。では、今回の曽呂利話を。
あるとき、曽呂利が豊臣秀吉に「食べるのに困っている人がいるので、紙ぶくろ一枚に入るぐらいの米をやりたいので、おゆるしをください。」とお願いをしました。秀吉は、すぐにそれをみとめました。
十日ほど後に、秀吉の家来の石田光成が来て、「たいへんなことがおこりました。曽呂利が、大きな紙ぶくろを持ってきて米蔵全体にかぶせてしまいました。中の米を運び出そうとしています。」とうったえました。秀吉は感心をして「しかたない。全部やれ。」と命じました。この時の米は大八車に百二十に台あったといいます。曽呂利は、その米に「御施米」と書いて、困っている人にあたえました。「御施米」というのは、お殿さまから人々にあたえてやる米のことをいいます。米をもらった人々は「ありがたい。」と、秀吉のことをまるで神様のように思って人々と言い合いました。
後に秀吉は曽呂利に「お前の紙ぶくろは、ちょっと大きすぎたぞ。」と笑って言ったそうです。
このように、曽呂利は、日本の国をおさめている秀吉にたいしてどうどうとものを言い、とんちでからかったりしました。実際にこういうことを行ったのかどうかはわかりませんが、おそらく、町の人たちが秀吉をぎゃふんといわせることで気持ちをすっとさせたくて、曽呂利という人物にかさねて作ったのかもしれません。曽呂利にあやかって、みなさんもとんちを使われては。