64 開口あぐち神社じんじゃ大寺おおてらさん

 前回の住吉すみよし神社じんじゃ頓宮とんぐうから、フェニックス通りをわたって北に向かうと、すぐに開口神社があります。

開口神社

 1615年に新しくつくられた堺の町は、大小路筋で北と南とにわけられていました。北庄きたのしょう南庄みなみのしょうとよばれていました。大小路筋というのは、熊野小学校や市小学校が面している通りのことで、現在では毎年10月に堺祭りでパレードが行われています。この北庄の中心になっていた神社として「菅原神社」がおかれており、南庄の中心になっていた神社が「開口神社」なのです。

 この神社は、第57回「船尾ふなおへのまつ」に出ていたじんぐう皇后こうごう朝鮮ちょうせん半島はんとうへのいくさからもどられたときに、皇后のねがいでつくられたことになっています。

開口神社常夜灯・
三村大神宮

 むかしは、この神社のあたりを開口あぐちむらとよんでいましたが、この開口村の「塩土しおつちのじのかみ」と原村の「素盞嗚すさのうのかみ」と木戸村の「生国いくたまのかみ」の3つの神様を合わせておまつりをすることになり、「開口三村大明神だいみょうじん」とよばれるようになりました。境内けいだいには、現在でも「三村大神宮だいじんぐう」とほられた石の常夜灯じょうやとうが建っています。

 また、天平てんぴょう18年(746)にそう行基ぎょうき境内けいだいねん仏寺ぶつじを建て、またそう空海くうかい(弘法大師)が宝塔ほうとうを建てたことから、「大寺」ともよばれて人々から親しまれて願い事をされてきました。しかし、第二次世界大戦で、すっかり焼けてしまい、本殿や拝殿などの建物は戦後に新しく建てられました。

開口神社本殿:明治35年前後

 境内には、「大阪府立三国丘高等学校発祥之地」「大阪府立泉陽高等学校発祥之地」「堺の幼稚園教育発祥の地」の石碑が建てられており、堺市の中心的な役割を果たしてきた神社だということが分かります。

 境内にはハトがまいおりており子どもたちが楽しそうにえさをやっているのに出会うことでしょう。

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