73 山之口やまのくちすじ

 紀州街道から二筋東の道は、山之口筋と呼ばれています。そのうち市之町から大町までは「堺山之口商店街」があるので、知っている人もいるでしょう。

山之口筋:宿院側

 この商店街は、戦前(1945年より前)はとても栄えていて、老舗しにせ(古くから続いていて信用されている店)もたくさんあり、人通りが多くてとてもにぎやかでした。

 ところでこの「山之口」という名前は商店街だけではなく、昔の堺の町を南北に貫いている通りの名前です。「山」とは、どこの山のことなのでしょう。この「山之口」とは何でしょう。これは、私が子どもの頃からずっと疑問ぎもんに思ってきたことでもあるのです。

 実は、現在の宿院公園(住吉すみよし頓宮とんぐうの西)のあたりに「名越なごしの丘」と呼ばれる小さな丘がありました。人々はこの丘を「お山」と呼んでいました。この現在の山之口筋の入り口にあたるところに「山」があったので、山の入り口、つまり「山之口」と」呼ばれるようになったのです。ただ、現在では、この丘もなくなり、住宅地に生まれ変わっています。かろうじてこの山之口商店街にその名前を残すことになりました。

昭和20年代初期の山之口筋

 なお、江戸時代の後半の文化ぶんか文政ぶんせい時代(1804~1830)の頃、このあたりに「大寺の芝居しばい」というものができ、芝居小屋を中心にしてそのあたりが、人々が遊んだり買い物をし<りして楽しめる場所になっていました。こういう所を「歓楽街かんらくがい」と言います。現在の難波なんば周辺のような所だったのでしょう。現在の姿からは、思いも及ばないような所だったのです。

昭和33年山之口筋

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