紀州街道から二筋東の道は、山之口筋と呼ばれています。そのうち市之町から大町までは「堺山之口商店街」があるので、知っている人もいるでしょう。
この商店街は、戦前(1945年より前)はとても栄えていて、老舗(古くから続いていて信用されている店)もたくさんあり、人通りが多くてとてもにぎやかでした。
ところでこの「山之口」という名前は商店街だけではなく、昔の堺の町を南北に貫いている通りの名前です。「山」とは、どこの山のことなのでしょう。この「山之口」とは何でしょう。これは、私が子どもの頃からずっと疑問に思ってきたことでもあるのです。
実は、現在の宿院公園(住吉頓宮の西)のあたりに「名越の丘」と呼ばれる小さな丘がありました。人々はこの丘を「お山」と呼んでいました。この現在の山之口筋の入り口にあたるところに「山」があったので、山の入り口、つまり「山之口」と」呼ばれるようになったのです。ただ、現在では、この丘もなくなり、住宅地に生まれ変わっています。かろうじてこの山之口商店街にその名前を残すことになりました。
なお、江戸時代の後半の文化文政時代(1804~1830)の頃、このあたりに「大寺の芝居」というものができ、芝居小屋を中心にしてそのあたりが、人々が遊んだり買い物をし<りして楽しめる場所になっていました。こういう所を「歓楽街」と言います。現在の難波周辺のような所だったのでしょう。現在の姿からは、思いも及ばないような所だったのです。