阪堺電車「高須神社」をおりて西に進むと紀州街道に出ます。この街道を南にしばらく歩いて行くと、左側に写真の石碑と出あいます。
みなさんは、この「河井酔茗」という人物を知っていますか。堺の有名な詩人です。河井酔名は、明治7年(1874)に北旅籠町に生まれました。18歳のときに「少年文庫」などに詩を送り、20歳のときには「亡き弟」が初めてのります。その後、「少年文庫」の記者として詩のコーナーを担当しています。詩集をいくつも出したり、詩人協会をつくったりするなど、詩が広まるのに力をそそぎました。
かつての堺の子どもたちが使っていた六年生の国語の教科書に、河井酔茗の「ゆずりは」という詩がのっていました。その一部をのせましょう。
「こどもたちよ、これはゆずりはの木です。
このゆずりはは 新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。
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世のおとうさんおかあさんたちは 何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。
今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちはのびる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。
そしたらこどもたちよ
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。」
という詩です。今から40年も前の六年生たちがこの詩を勉強していたのです。