阪堺電車を「宿院」停りゅう所でおりて東へ向かい、阪神高速道路の手前を左に入ると、祥雲寺が見えてきます。瓦を積み重ねた土の塀が、歴史を感じさせてくれるような気になります。
堺の豪商だった谷正安は、沢庵和尚のために寺を建てようとしました。海会寺の跡地に寛永2年(1625)に寺をつくり、沢庵をむかえました。建てた当時は、瑞泉寺と名づけられていましたが、寛永16年(1639)に祥雲寺としました。当時は、徳川三代目の将軍である家光により、徳川幕府が巡見使として見回るための場所に、この祥雲寺が指定されています。
このお寺の庭は枯山水で、江戸時代のはじめごろのものだそうです。京都の有名なお寺である大徳寺の住職であった天裕紹果がつくられ、塀の近くにいくつかの石を組み合わせて置き、その前を白い砂で水の流れをイメージしたものになっています。
しかし、昭和20年(1945)の第二次世界大戦でこのお寺全体が焼けてしまいました。枯山水も焼けてしまいましたが、残された石組をもとに造りなおされたおかげで、今でも当時の庭園をながめることができるのです。この庭は、大阪府の指定名勝にされています。
またこのお寺には、谷正安がたのんでえがかれた「沢庵和尚像」や、お釈迦様の教えを聞いている弟子のすがたをえがいた「釈迦二声聞像」は、ともに重要文化財に指定されています。さらに、谷正安が同じくたのんで俵屋宗達にえがかせた「松島図屏風」はこの祥雲寺におくられましたが、明治時代になってアメリカにおくられて保存されているということです。わが国に残されていれば国宝になっただろうといわれているほどすばらしいものだそうで、その複製が展示されています。