82 方違ほうちがい神社じんじゃ

 南海なんかい高野こうやせんさかいひがしえきを東におりて、北向きに歩いて行くと、長尾ながお街道かいどうとであいます。長尾街道を東に向かうと、右側に鳥居とりいがみえてきます。これが方違神社です。

 家を引っこししたときなど、この神社にきておはらいをしてもらうことがよくあります。お祓いにきている方の車のナンバーを見ると、全国から来ておられるのが分かります。それほど、この神社は有名なのです。でも広い境内けいだいではありません。

方違神社拝殿

 この神社は、摂津せっつ河内かわち和泉いずみの三国のさかいにあって、方位ほういのない清地せいちと考えられてきました。むかしからとおくへ出かける時に、その方位がよくない時には一度別の方向に向かって行き、それから行きたい方に向かっていくという「方違かたたがえ」という風習ふうしゅうがありました。方違神社は方位がないので、遠くに旅をするときや家の引っこしのときには、ここにおまいりをすると一度に三国さんごくを旅したことになり、方違えをしたことになると考えられ、わざわいに会わないと言いつたえられてきたのです。

方違神社:明治35年前後

 神社の由緒書ゆいしょがきには、じんぐう皇后こうごう朝鮮ちょうせんとのいくさからもどってくるときに、二人の王子おうじ謀反むほんにあい、皇后がどの国にも入らない場所で、わざわいを取りのぞくおいのりをして勝ちました。後にこの場所に神様かみさまをまつって「方違社」としたと伝えられています。そう行基ぎょうきがこの辻に伏屋ふせやという休憩所きゅうけいしょをつくり、旅人たびびとが休めるようにしたので、和歌山の熊野くまの大社たいしゃにおまいりをする人たちが、かならずおまいりをして旅の安全をおいのりをしたということです。

 この神社から東に百メートルほどいったところにあるけやき通りにみきのまわりが三、六メートルの「くろがねもち」の大木がありますが、ここはもともとは方違神社の参道さんどうがあったところだそうです。まるで歩道をとうせんぼうをしていますね。

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