南海高野線「堺東」駅を東におりて、北向きに歩いて行くと、長尾街道とであいます。長尾街道を東に向かうと、右側に鳥居がみえてきます。これが方違神社です。
家を引っこししたときなど、この神社にきてお祓いをしてもらうことがよくあります。お祓いにきている方の車のナンバーを見ると、全国から来ておられるのが分かります。それほど、この神社は有名なのです。でも広い境内ではありません。
この神社は、摂津、河内、和泉の三国の境にあって、方位のない清地と考えられてきました。むかしから遠くへ出かける時に、その方位がよくない時には一度別の方向に向かって行き、それから行きたい方に向かっていくという「方違え」という風習がありました。方違神社は方位がないので、遠くに旅をするときや家の引っこしのときには、ここにおまいりをすると一度に三国を旅したことになり、方違えをしたことになると考えられ、わざわいに会わないと言い伝えられてきたのです。
神社の由緒書きには、神功皇后が朝鮮との戦からもどってくるときに、二人の王子の謀反にあい、皇后がどの国にも入らない場所で、わざわいを取りのぞくお祈りをして勝ちました。後にこの場所に神様をまつって「方違社」としたと伝えられています。僧行基がこの辻に伏屋という休憩所をつくり、旅人が休めるようにしたので、和歌山の熊野大社におまいりをする人たちが、必ずおまいりをして旅の安全をおいのりをしたということです。
この神社から東に百メートルほどいったところにあるけやき通りに幹のまわりが三、六メートルの「くろがねもち」の大木がありますが、ここはもともとは方違神社の参道があったところだそうです。まるで歩道をとうせんぼうをしていますね。