84 菅生すごう神社じんじゃ

菅生神社拝殿

 南海なんかい高野こうやせん北野田きたのだえきから東へ25分歩くと、菅生神社があります。

 この神社は、いつごろできたのかは分かっていませんが、奈良なら時代じだい(710~794年)よりも前だと考えられています。また、このあたりにはかつては沼地ぬまちが多く、すげという植物しょくぶつが生えていましたので、「菅生すごう」とよぶようになりました。また、むかしから中臣なかとみが多く住んでおり、「菅生」と名のってこのあたりをおさめるようになりました。

天満宮降誕地の碑

 天平てんぴょう18年(746)に、菅生氏は「菅生そん」の名前を朝廷ちょうてい(国をおさめる役所やくしょ)からもらいました。菅生氏の氏神うじがみさまだった天児あめの屋根やねのみことをこの神社にまつって、「菅生神社」となりました。その後、建武元年(1334)にはいくさのために社も宝物ほうもつもすっかりけてしまい、古い記録きろくのこっていません。

 中世ちゅうせい鎌倉かまくら室町むろまち時代)には、天神てんじんさんをおまつりするということが全国で広まりました。この神社のなかにあった高松山天門寺たかまつさんてんもんじというお寺のそうが、境内けいだい菅沢すがさわのそばで菅原道真すがわらのみちざねが生まれたというせつをとなえたことから、この神社は菅生天満宮てんまんぐうともよばれるようになり、菅原道真をもおまつりするようになりました。しだいに、天神さんの方が重きをおかれるようになっていきます。

合祀時代の山門:菅生神社

 ほん殿でんは、江戸えど時代のはじめごろにてられたものです。また、神社なのに入り口には山門さんもんが建っていますが、これは、先にも書きました高松山天門寺の山門だけが残されており、かつての神さんとほとけさんとが「いっしょにまつられていた名残なごりが見られます。

 江戸時代の「かわ内名所図ちめいしょず」を見ても、今とはかわらない広さです。

菅生天神:河内名所図会

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