南海高野線「北野田」駅から東へ25分歩くと、菅生神社があります。
この神社は、いつごろできたのかは分かっていませんが、奈良時代(710~794年)よりも前だと考えられています。また、このあたりにはかつては沼地が多く、菅という植物が生えていましたので、「菅生」とよぶようになりました。また、むかしから中臣氏が多く住んでおり、「菅生」と名のってこのあたりをおさめるようになりました。
天平18年(746)に、菅生氏は「菅生朝臣」の名前を朝廷(国をおさめる役所)からもらいました。菅生氏の氏神さまだった天児屋根命をこの神社にまつって、「菅生神社」となりました。その後、建武元年(1334)には戦のために社も宝物もすっかり焼けてしまい、古い記録は残っていません。
中世(鎌倉~室町時代)には、天神さんをおまつりするということが全国で広まりました。この神社のなかにあった高松山天門寺というお寺の僧が、境内の菅沢のそばで菅原道真が生まれたという説をとなえたことから、この神社は菅生天満宮ともよばれるようになり、菅原道真をもおまつりするようになりました。しだいに、天神さんの方が重きをおかれるようになっていきます。
本殿は、江戸時代のはじめごろに建てられたものです。また、神社なのに入り口には山門が建っていますが、これは、先にも書きました高松山天門寺の山門だけが残されており、かつての神さんと仏さんとが「いっしょにまつられていた名残りが見られます。
江戸時代の「河内名所図会」を見ても、今とはかわらない広さです。