88 けい林寺りんじ、 おすずの宮:はち神社じんじゃ

華林寺

華林寺本堂

 阪和はんわせん津久野駅つくのえきから南へ行くと家原えばら大池おおいけ体育館たいいくかんにでます。そこから南南東に1キロメートルほど進むと、かど立派りっぱ山門さんもんのあるお寺があります。そこが華林寺です。

華林寺表札

 この寺は、行基ぎょうき絵伝えでんによりますと、そう行基が13才のときに、行基の母方のはち田連たのむらじ氏寺うじでらとして建てたお寺なので、はち田寺たじともよばれていました。その後、慶雲けいうん3年(706)に行基が39才のときに、なき母親を供養くようするために華林寺を再興さいこうしたとされており、行基の母方のお寺でしかも母親をおまつりされていたことが分かります。

 それ以降は、南北朝なんぼくちょう時代じだい戦国せんごく時代のいくさをへておとろえていきました。さらに大坂だいさかふゆじんけてしまいました。延宝えんぽう7年(1679)に僧こうけいが建てなおされました。お寺には、行基13才のときの絵が残されています。

お鈴の宮お:蜂田神社

 華林寺から南へ四百メートルほど行くと、左手にこんもりとした森が見えてきます。そこが蜂田神社です。

蜂田神社の土の鈴

 この神社はいつできたのかははっきりしていませんが、蜂田連の祖先そせん天児あめのこ屋根やねのみことをまつっています。行基の母方の先祖ですね。地域ちいきでは「お鈴の宮」として親しまれている神社ですが、これは、蜂田連が土の鈴を12つくり、春の初めに神様におそなえをしてその音色ねいろの良ししでその年をうらなったという言い伝えによるものです。

蜂田神社拝殿

 それにちなんで、毎年節分せつぶんには境内けいだいの土を使って12種類しゅるいの鈴をつくって「すずうらない神事しんじ」が行われています。

 なお、もともとこの神社は百メートルほど西にありましたが、えいろく11年の原城ばらじょうでの戦いがもとで現在げんざいの場所にうつってきたようです。

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