今回は二つの神社に行ってみましょう。まずは、西区の日部神社です。南海バス「石橋」でおりて東北東へ300メートルほど歩いてところにあります。
和泉の国の豪族に日下部首がいました。現在の鶴田村から高石市あたりに住んでおり、一族には浦島太郎もいたといわれているそうです。この日下部一族の神様をまつっている神社で、明治44年には鶴田村にあった八坂神社や菅原神社などをいっしょにまつるようになりました。
本殿は、室町時代初めごろ(1300年代中ごろか)に建てられたものです。また神社内にある石灯籠は1369年につくられたもので、本殿とともに、国の重要文化財に指定されています。
華表神社
地下鉄「北花田」駅から南南西に300メートル歩くと、この華表神社にでます。
北花田郷の7村の中心の社で、貞享2年(1685)に書かれた神社の縁起を見ると、室町時代には薬師寺の他7つの坊があったようです。しかし織田信長に300石をとられてからおとろえ、明治の神仏分離令によって坊はすべてなくなりました。
名前の「華表」というのは、中国で、宮殿や王様の墓などの前に建てられる印となるものを表していますが、この神社では鳥居がその役目をはたしているのでしょう。石の鳥居は元禄16年(1703)のもので、本殿は寛文11年(1671)のころに建てられたものです。