98 日部くさべ神社じんじゃ

 今回は二つの神社に行ってみましょう。まずは、西区の日部神社です。南海バス「石橋いしばし」でおりて東北東へ300メートルほど歩いてところにあります。

 和泉いずみの国の豪族ごうぞく日下くさか部首べのおびとがいました。現在の鶴田村つるたむらから高石市あたりに住んでおり、一族には浦島うらしま太郎たろうもいたといわれているそうです。この日下部一族いちぞくの神様をまつっている神社で、明治44年には鶴田村にあった八坂やさか神社や菅原すがはら神社などをいっしょにまつるようになりました。

 ほん殿でんは、室町むろまち時代初めごろ(1300年代中ごろか)に建てられたものです。また神社内にあるいしどうろうは1369年につくられたもので、本殿とともに、国のじゅう要文化ようぶんかざい指定していされています。

 

 


華表かひょう
神社じんじゃ

 地下鉄「北花田きたはなだ」駅から南南西に300メートル歩くと、この華表神社にでます。

 北花きたはな田郷だごうの7村の中心の社で、貞享じょうきょう2年(1685)に書かれた神社の縁起えんぎを見ると、室町時代には薬師寺やくしじの他7つのぼうがあったようです。しかし織田おだ信長のぶながに300石をとられてからおとろえ、明治の神仏しんぶつ分離ぶんりれいによって坊はすべてなくなりました。

 名前の「華表」というのは、中国で、宮殿きゅうでんや王様のはかなどの前に建てられるしるしとなるものを表していますが、この神社では鳥居とりいがその役目をはたしているのでしょう。石の鳥居は元禄げんろく16年(1703)のもので、本殿はかんぶん11年(1671)のころに建てられたものです。

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