99 南蛮なんばん行列ぎょうれつ

 中世終わり近くには、堺のみなと近くの海に、南蛮なんばんせんとよばれるポルトガルの大きな船が入ってきました。現在のインドを通り東南アジア方面ほうめんから堺に入ってくるので、南からくる異人いじんの船ということで、「南蛮船」とよばれています。堺のおきに止まっている船から、堺の湊までは小さな船にえてきます。ヨーロッパやアジア各国かっこくのめずらしい品物をたくさん運んできていました。宣教師せんきょうしをはじめとして技術者ぎじゅつしゃ船乗ふなのりたちも上陸じょうりくをしてきました。その人たちが堺の交易こうえきのできる場所まで次々と歩いてきます。このようすを現代げんだいでは「南蛮行列」とよんでいます。

1958.10.2南蛮船

 外国の人たちは、当時の日本人にとってとてもめずらしかったでしょう。身体も大きく、はだの色もちがって、国内で生活しているだけでは出会えない人たちです。服装ふくそうもまったくちがいますし、見たこともないゾウやトラなどの動物までつれています。それだけではありません。彼らは、新しい宗教しゅうきょうであるキリスト教やガラス製品せいひん香料こうりょう薬草やくそう植物しょくぶつなども持ちんできました。わが国の商人たちはこれらのものにはびついたのにちがいありません。お金持ちの人たちにとっては、どれものどから手が出るほどほしい物ばかりだったのですから。堺の商人たちは、この南蛮船が湊に着くのを心からのぞむようになりました。

南蛮船入港の図:旧堺港の工場壁画

 堺のまちを南蛮人たちが歩いてくれているころは、堺が一番栄えた、そして世界に開かれた、最先端さいせんたんをいく町だったのです。

 戦前せんぜんにも南蛮行列は行われていましたが、戦後昭和49(1974)年に第一回堺まつりが開かれたときに戦後で初めて「南蛮行列」が復活ふっかつしました。さきに書いた堺の町のはなやかな時代がもう一度、堺にやってきてほしいとねがって、復活したのかもしれません。

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