昭和9年(1934)9月1日、高知県室戸岬付近に上陸した台風は、上陸したときの気圧が911ヘクトパスカルと記録的な数値の台風で、全国で死者2,702人、行方不明者334人という被害をもたらしました。これが室戸台風です。瞬間最大風速は秒速60メートルを記録した後、観測機が故障するほど強いものでした。
堺市でも死者424人、行方不明者13人、流されたり壊れたりした家が966棟、床上・床下浸水した家が4,957棟という被害の数にのぼります。大和川の堤防がおよそ900メートルにわたってくずれ、三宝地区は完全に水に飲み込まれました。三宝小学校では校舎)は倒れ、55人の児童と1人の先生がなくなりました。錦小学校でも校舎が倒れ、39人の児童と先生1人がなくなっています。その他、小学校11校で校舎が倒れて、児童22人がなくなりました。
被害をうけた学校では、その後、近くのお寺や残った校舎などを使いながら、二部授業という午前と午後での子どもたちの入れ替えによる授業を行いました。しかし、教科書も文房具も全てを流された中での授業で、欠席者も結構いたようです。
堺市として、災害からの復興の事業を行いつつも、風水害でなくなった方々を慰霊するための慰霊塔を三宝地区に建てました。その後、関係した小学校やお寺(宝珠院、経王寺、月蔵寺、十輪院など)などになくなられた子どもや先生たちを慰霊するための、塔や碑・お地蔵さんなどがたてられ、今でも風水害の被害から尊い命を守るために、しっかり見つめてくれています。