111 条里制じょうりせい

 今回は、南八下小学校区を歩きます。

 下の写真を見てください。ちょっとわかりにくいかも知れませんが、上の東西に通っている道路は大阪おおさか中央ちゅうおう環状かんじょうせんです。その南側(地図の下)に南北にほそい道が何本も通っているのが分かりますか。黒っぽく見えているのがためいけですが、そのあたりまでその道はのびていますね。そして、その道は、それぞれ東西のはばがだいたい同じ長さですね。この規則的きそくてきに東西にならんでいる南北の道は、実は条里制の名残なごりなのです。

 古代に、民衆みん しゅうにあたえる農地のうちの面積を一りつに決めており、それを次第に「条」「里」という区画くかくで決めるようになったので「条里制」と呼んでいます。農地の基本の広さは一ちょう(およそ109メートル)四方の正方形です。この区画を「つぼ」と呼び、六町四方の正方形の区画を「里」と呼び、「里」が横に並んだ列を「条」と呼びました。

 天平てんぴょう15(743)年にこんでん永年えいねん私財法しざいほうというきまりが実施されてから、次第にこの条里制による区画整理せいりが行われるようになり、全国に広がりました。

 しかし、川が氾濫はんらんして農地が失われたり、新たな土地の区画整理が行われたり、都市開発が進んだために農地が失われたりしたために、しだいに条理制によって区画整理されていた農地は姿すがたを消すようになっていきました。かつては堺市でも、上野芝あたりにはっきりと残されていた条里制のあとも見るかげもなくなり、ここ南八下小学校区にかろうじて残されているのです。

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