
百舌鳥古墳群の中でもひときわ形の美しい古墳を紹介しましょう。それは、百舌鳥西之町にある「ニサンザイ古墳」と呼ばれている前方後円墳です。全長は290メートルと、百舌鳥古墳群のなかでも三番目、全国でも八番目の大きさをほこります。これほど大きな古墳ですが、この古墳に葬られている人物は不明なので、管理している宮内庁としては陵墓(天皇</ruby)のお墓)ではなく、陵墓参考地となっています。
平成24(2012)年に古墳のすそにあたるところの護岸工事のときに調査も行われました。その調査で現在の古墳のはしから5メートル外側の堀の底から、本来のすその部分が発見されました。このことから、もともとの古墳の長さは300メートル以上あったのではないかとされています。すると、全国でも七番目の大きさとなることになります。また、現在は一重の堀がありますが、二重目の堀の一部が確かめられており、もともとの堀は二重だったかもしれません。

このあまりの大きさもさることながら、この古墳から出土したはにわや土器などから、五世紀後半に造られたことがわかりました。仁徳天皇陵古墳が五世紀中ごろに造られていることから仁徳天皇の子どもであった反正天皇の古墳(現在は堺東駅の東側)や、履中天皇の古墳(仁徳天皇陵古墳の南側)ではないかという説をとなえる考古学者もいます。
なお、この古墳の名前である「ニサンザイ」とは、もともと天皇陵を意味する「みささぎ」がなまって「ミサンザイ」となり、それが「ニサンザイ」となったようです。