114 いたすけ古墳こふん

 前回に引き続いて古墳こふんを取り上げます。この古墳は、長さがおよそ146メートル、こう円部えんぶの高さがおよそ12、2メートルの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんです。五世紀せいきの前半に造られたと考えられています。百舌鳥もず 古墳群こふんぐんの中では、八番目の大きさです。

いたすけ古墳

 この古墳が全国的に有名になったのは、1955年のことです。当時は、第二次だいにじ世界せかい大戦たいせんが終わって一○年がたち、宅地たくち開発かいはつが進められていたころです。開発を始めたのは何も使っていない土地でした。古墳もその一つで、現在のように文化ぶんかざい保護ほごという言葉がない時代でしたので、古墳は土地の広さとたくさんの土があったことから目を付けられたのでしょう。この五年前には、長さが160メートルの大塚山古墳が、やはり宅地開発のために土がけずられてその姿を消してしまっています。

古墳に残された橋

 当時の若い考古学こうこがく研究者けんきゅうしゃたちが、このいたすけ古墳をまもろうと立ち上がり、保存ほぞん運動うんどうを始めたのです。いくつかの新聞でも取り上げられたので、この古墳のことが全国の方にも知られるようになりました。そこで堺市が土地開発の業者ぎょうしゃからこの古墳を買い取ることになり、開発から護られたのです。この運動がきっかけで全国に文化財保護という気持ちがひろがったのです。

 さて、この古墳からは、しょう角付かくつきかぶと埴輪はにわが発見されました。この古墳は運動によって護られたことから、この埴輪が堺市の文化財保護のシンボルマークとなっています。

 このように堺市の文化財を考える上で大事な古墳となっているのです。

 なお、写真でも見えますが古墳の右上に、ほりはしが突き出しています。これは、土を掘る業者が土をけずって運ぶ作業車を通すための木の橋を残したものです。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です