115 さんこう川・三光はし

三光川:西から東を

 南海本線の諏訪森駅すわのもりえきを下車して東に進むと、紀州きしゅう街道かいどうに出ます。紀州街道を少し南にむかうと、小さな川(写真)に出ます。この川が「三光川」で、この川にかかっている橋が「三光橋」です。浜寺小学校の校区ですが、この「浜寺」という地名は、この「三光」が関係しています。


三光川:西から東を

 おうちょう元年(1311)にげんの国(現在の中国)にわたって仏教を学んだそうかくみょうは、わが国に帰り、出雲(現在の島根県)に雲樹寺うんじゅじを建てます。覚明は、1333年に鎌倉かまくら幕府ばくふたおそうと兵をあげた醍醐天皇だいごてんのうに招かれて、国師こくしの号をもらいます。「国師」というのは、優れた僧に対して、天皇(朝廷)から贈られる号のことで、贈られたということはそれだけすぐれた僧であったということです。その後、吉野で後村上天皇に仏教の教えを伝えたことから、「三光国師」の号をもらいました。この三光国師が、高師たかし大雄寺だいゆうじを建立したのです。高師というのは、現在の浜寺から高石あたりまでをいいます。

 当時、後醍醐天皇は足利あしかが幕府と戦っていて、吉野にこもっていました。その吉野の山にはにち雄寺ゆうじというお寺があり、この山の寺に対して浜にあった大雄寺は、「浜寺」とよばれるようになりました。これが「浜寺」という地名になった由来ゆらいです。

 さて、三光国師が浜寺のもとをつくられたので、この浜寺を流れる川を「三光川」とよび、そこにかかる橋にも三光国師の名前にちなんで「三光橋」と名づけられたのです。

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