29 行基ぎょうき家原寺えばらでら

 大鳥おおとり大社たいしゃを出て、阪和はんわせん鳳駅おおとりえきふみきりをこえて、東へ。西区役所からさらに東へ。家原えばら大池おおいけ体育館たいいくかんを右に見て、さらに東へ行くと、左がわに家原寺の山門が見えてきます。

家原寺

 このお寺は、受験じゅけんのときになると多くの方が集まり、合格ごうかくのおねがいにくることで有名ですね。いわゆる「ちえのもんじゅさん」とよばれていることから、そうなったのでしょう。そういう私も高校こうこう受験じゅけんのときには、ここに来て本堂ほんどうのかべに、白いチョークで合格したい高校の名前を書いたのを思い出します。現在げんざいは白いハンカチに合格したい学校名など願いごとを書いて、かべにおしぴんではっています。

 もともとここは、奈良なら時代じだい(710~794年)のそう行基ぎょうきのお母さんの家で、668年に行基はここで生まれました。15才で僧となり、この家をお寺にしたのをはじめとして、大阪府、京都府、奈良県ならけんに49のお寺をてています。家原寺をお寺にしたのはけいうん元(704)年で、その後次第しだいに形をととのえていき、天平てんぴょう2(730)年になってようやくお寺らしくなったようです。

家原寺の行基立像

 現在、堺市内にある行基の建てたお寺では、土塔どとうで有名な大野寺と高蔵寺たかくらでらぐらいが残っているようです。行基の建てた寺はけっこう小さなお寺が多く、なくなってしまっているのが多くあります。また、行基はお寺だけでなく、農業のうぎょうを活ぱつにしたり、ため池やはしや井戸などもたくさんつくって、人々のくらしをよくすることに力をかしたりしています。

 このお寺には、「ぎょう菩薩ぼさつ行状ぎょうじょう絵伝えでん」という行基のいえがらと、の一生とをかいた絵がのこされており国の重要じゅうようぶんざい指定していされています。また、お寺の境内けいだいは、大阪の指定文化財になっいます。

行基像の場所

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