大鳥大社を出て、阪和線鳳駅ふみきりをこえて、東へ。西区役所からさらに東へ。家原大池体育館を右に見て、さらに東へ行くと、左がわに家原寺の山門が見えてきます。
このお寺は、受験のときになると多くの方が集まり、合格のお願いにくることで有名ですね。いわゆる「ちえの文珠さん」とよばれていることから、そうなったのでしょう。そういう私も高校受験のときには、ここに来て本堂のかべに、白いチョークで合格したい高校の名前を書いたのを思い出します。現在は白いハンカチに合格したい学校名など願い事を書いて、かべにおしぴんではっています。
もともとここは、奈良時代(710~794年)の僧行基のお母さんの家で、668年に行基はここで生まれました。15才で僧となり、この家をお寺にしたのをはじめとして、大阪府、京都府、奈良県に49のお寺を建てています。家原寺をお寺にしたのは慶雲元(704)年で、その後次第に形をととのえていき、天平2(730)年になってようやくお寺らしくなったようです。
現在、堺市内にある行基の建てたお寺では、土塔で有名な大野寺と高蔵寺ぐらいが残っているようです。行基の建てた寺はけっこう小さなお寺が多く、なくなってしまっているのが多くあります。また、行基はお寺だけでなく、農業を活ぱつにしたり、ため池や橋や井戸などもたくさんつくって、人々のくらしをよくすることに力をかしたりしています。
このお寺には、「行基菩薩行状絵伝」という行基の家柄と、の一生とをかいた絵が残されており国の重要文化財に指定されています。また、お寺の境内は、大阪の指定文化財になっいます。
行基像の場所