前回に「行基」を取り上げたので、今回はちょっと土塔に寄り道をしてみましょう。
泉北高速鉄道深井駅をおりて、東の方に10分あまり歩くと、土塔町公園にでます。門をくぐるとそこには、瓦でおおってある小山にであいます。これが「土塔」です。。
行基は、前回にお寺を49建てたと書きましたが、この土塔は、実は行基の建てた大野寺の境内に建つ塔なのです。奈良や京都に行くと多くのお寺で見かける三重塔や五重塔と同じです。この土塔は十三重の土の塔です。塔というのは、仏教を広めたおしゃかさまの骨をうめたお墓です。このお墓をストゥーバといいました。仏教がインドから中国に伝わり、「卒塔婆」とよばれました。これがわが国ではかんたんに「塔」とよぶようになったのです。。
土塔は、写真でもわかるように、ピラミッドのように四角すいの形をしています。一辺が53メートルほど、高さは8、6メートル以上あります。その上には塔のような建物が建てられていたと考えられています。。
もともとは、この塔を6万枚もの瓦でおおっていましたが、その瓦には、人の名前がほられていたのも1200枚ほどありました。瓦を寄付した人や土塔をつくるのに働いた人たちの名前だったのでしょう。行基を敬う人たちがたくさん集まって造られたのです。。
「行基菩薩行状絵伝」には、「大野寺御年60歳神亀4年十三重土塔在之」と書かれ、土塔の絵もかかれています。 行基が60歳のときに土塔を建てたということでしょう。 この「絵伝」 の写しは、 堺市博物館 でも見るこ とができる ので、実際 に見られれ ばいいと思 います。。