32 百舌鳥もず古墳群こふんぐん

 前回の大仙だいせん古墳こふんをふくめた百舌鳥古墳群です。大仙古墳を中心に、履中りちゅうりょう古墳こふん反正はんぜいりょう古墳こふん、にさんざい古墳、いたすけ古墳、御廟山ごびょうやま古墳など、大きな古墳がたくさん集まっています。さらに、その大きな古墳のまわりには、ばいちょうとよばれている小型こがたの古墳もたくさん造られています。

百舌鳥古墳群:博物館蔵

 これらの古墳ができたは、四世紀せいき(301年~400年)の終わりごろから五世紀(401~500年)にかけてで、大和やまと朝廷ちょうていという大和の国(現在の奈良県ならけん)を中心にした地域ちいきがわが国の中心になっていた時代の古墳が、この百舌鳥の付近ふきんにたくさん集まっているのです。

 前方後円墳ぜんぽうこうえんふんという独特どくとくの形をしたもので、これほど大きなものが造られたのは、力の大きさを示すためだったのでしょう。

 また、反正陵古墳、大仙古墳、履中陵古墳と大きな古墳が、南海なんかい高野こうやせんさかい東駅ひがしえきの東から南に、ずっと南北にならんでいます。まだ大阪おおさかわんめられていないころには、海からこの古墳のならんでいるすがたがよく見えたことでしょう。古墳時代に外国からわが国に入ってきた船からもこの姿すがたがよく見え、わが国には、これだけの大きなものを造れる力があるということを見せつけたのかもしれません。

 これらの古墳も、多くがこわされて宅地たくちなどに代わっており、たしかめられている古墳は107ありましたが、その内、現在でものこっているものは46基しかありません。

 この百舌鳥古墳群と同じような規模きぼの古墳群が、羽曳野はびきの市にもあります。これは古市ふるいち古墳群とよばれており、令和元年七月、百舌鳥古墳群と合わせて、かい文化ぶんか遺産いさんとうろくされました。

百舌鳥古墳群:博物館蔵

 私の子どものころは、古墳の上にたくさんのシラサギがび回っていました。農薬のうやくが使われ出してからえさがなくなり、シラサギはほとんどいなくなってしまいました。

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