大小路筋から南へ行くと、宿院大通りです。現在ではフェニックス通りという方が分かりやすいかもしれません。この通りの西にあるのが大浜公園です。現在はさるのゲージがあって何びきかのさるが生活しています。
なぜここにさるが生活しているのでしょうか。この公園は、江戸時代の終わりごろに外国船をうちはらうための砲台がおかれており、お台場とよばれるところだったのです。そこを明治12(1879)年に大浜公園にしています。
この大浜公園内に明治36(1903)年に水族館が建てられました。現在の天王寺公園で第5回内国勧業博覧会が開かれましたが、その第二会場としてできたのです。その後、公会堂や潮湯などができていきましたが、この公園内も動物園らしく整備され、そのときにさる島もできたのです。
第二次世界大戦で堺の町も焼夷弾で焼け野原になりましたが、大浜公園の施設も焼けてしまいました。そのときに水族館とともにこのさる島がのこりました。私も幼稚園や小学校のころに来たことがあり、じっとさるを見ていたことを思い出します。
このさるも、しだいに見物する人が、勝手にえさやおかしを投げ与えるようになりました。甘いものばかりを一人じめして食べるようになったボスざるやその仲間のさるはどんどん太っていき、メタボざるとまで言われてテレビや新聞にまで取り上げられるようになり、さるを守るために、ゲージをつくり、えさをかってにあたえられなくしたのです。平成23年のことです。