35 大浜おおはま公園こうえん・さるしま

 大小路筋おおしょうじすじから南へ行くと、宿院しゅくいん大通おおどおりです。現在げんざいではフェニックス通りという方が分かりやすいかもしれません。この通りの西にあるのが大浜公園です。現在はさるのゲージがあって何びきかのさるが生活しています。

 なぜここにさるが生活しているのでしょうか。この公園は、江戸えど時代じだいの終わりごろに外国がいこくせんをうちはらうための砲台ほうだいがおかれており、お台場だいばとよばれるところだったのです。そこを明治めいじ12(1879)年に大浜公園にしています。

 この大浜公園内に明治36(1903)年に水族館すいぞくかんてられました。現在の天王寺てんのうじ公園こうえんだい5回内国ないこく勧業かんぎょう博覧会はくらんかいが開かれましたが、その第二会場としてできたのです。その後、公会堂こうかいどうしおなどができていきましたが、この公園内も動物どうぶつえんらしく整備せいびされ、そのときにさる島もできたのです。

 第二次だいにじ世界せかい大戦たいせんで堺の町も焼夷弾しょういだん野原のはらになりましたが、大浜公園の施設しせつも焼けてしまいました。そのときに水族館とともにこのさる島がのこりました。私も幼稚園ようちえんや小学校のころに来たことがあり、じっとさるを見ていたことを思い出します。

 

 このさるも、しだいに見物する人が、勝手かってにえさやおかしを投げ与えるようになりました。あまいものばかりを一人じめして食べるようになったボスざるやその仲間のさるはどんどん太っていき、メタボざるとまで言われてテレビや新聞しんぶんにまで取り上げられるようになり、さるを守るために、ゲージをつくり、えさをかってにあたえられなくしたのです。平成23年のことです。

 

 

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