3.大阪狭山市内の現況
ウォーキング中に出会った大阪狭山市内の各種施設を見ていきましょう。
まずは、大阪狭山市役所。(狭山)
続いて、SAYAKAホール(狭山)
大阪狭山市立図書館と公民館(今熊)
大阪狭山市立保健センター(岩室)
大阪狭山市消防本部(狭山)
大阪狭山郵便局(岩室)
大阪狭山市立社会福祉協議会(今熊)
大阪狭山市史編さん所(今熊)
大阪狭山市立斎場(東野)
大阪狭山市商工会館(岩室)
大阪狭山市野球場(池之原)
大阪狭山市立総合体育館(池之原)
大阪狭山市立池尻体育館(池尻)
学校給食センター(今熊)
太満池浄水場(堺市東区南野田)
大阪府広域水道受水池兼低区配水池(今熊)
大阪広域水道企業団南部水道事業所狭山ポンプ場(東野)
狭山ニュータウン配水池(大野台)
大野中区配水池(大野)
大阪府立狭山水未来センター(東池尻)
せせらぎの丘:水未来センター
(東池尻)
かがやき広場:水未来センター(東池尻)
南河内環境事業組合資源再生センター(東池尻)
市民ふれあいの里(東野)
大阪狭山市立
コミュニティーセンター(大野台)
続いて、半公共的な施設です。
大阪さやま病院(岩室)
近畿大学医学部付属病院(大野台)
青葉丘病院(東池尻)
辻本病院(池之原)
さくら会病院(半田)
近畿大学附属看護専門学校(大野台)
イオン金剛店(半田)
コノミヤ(大野台)
大阪瓦斯・狭山供給所(岩室)
NTT NTT(狭山)
市民が集う公園も見ていきましょう
狭山池公園
四阿も設置されている公園で、狭山池の周囲を公園にしています。
狭山副池オアシス
家族連れや保育園の子どもたちもよく利用しています。
さやか公園
狭山遊園の跡地の一部をイベントのできる公園へと様変わりしました。
三津屋川緑道
狭山池に流れ込む三津屋川に沿ってつくられています。
緑道 には、各種の体力作り用の遊具が設置されています。
大野・西山緑道
南中学校の南側に、東西300mにわたってつくられた緑道です。
名前の付いた通り
さやか通り
その名の通り、SAYAKAホールのある通りです。
市役所をはじめ、消防署や陣屋跡など、大阪狭山市の中心となる道路ですね。
狭山池通り
狭山池の南堤を通っている道路です。堺市の泉北から岩室を通って、南海高野線をこえて富田林市までつながっています。
陶器山通り
その名のとおり、堺市との境にある陶器山トンネルを抜、けて、狭山ニュ―タウンを通り金剛駅の方まで東西に通っている道路。
名称の石柱まで建っていました。
秋の陶器山トンネルです。トンネルを抜けると、堺市南区晴見台と御池台につながっています。
いちょう通り
今熊から西山台、大野台へと、狭山ニュータウンを南北に抜ける、メインストリートです。
通りの両サイドには、その名の通り、イチョウが林立しています。
右は、学校給食センターの前に建っている、通りの名称の石造物です。
狭山池も市民とともに
狭山池を守る活動
年に4回実施されている、市民ボランティアによる池の清掃活動の様子です。西除川と三津屋川が狭山池に流入する際に入ってくる流木やゴミは大量にあり、これを撤去しています。
1年間に池に流れ込んできた土砂も大量になります。池の底上げをしてしまうので、水量の減少する冬期にこの土砂を重機でかき集めて、撤去しています。
また、これも冬期に、護岸に打ち上げられたゴミ・流木などを、ボランティアによって撤去の活動が実施されています。
夏場の強い日差しで地面が乾燥するために、雨の降らない頃に、全ての樹木に灌水作業をしています。
たっぷりの水を与えて、樹木を守っています。
雨降ればすぐに草丈が伸びてしまいます。
そこで、年間何度も写真のように除草作業を行います。
狭山池を訪れる方々に気持ちよく活動をしていただくために、以上のような活動を頻繁に行っています。
次のページからの事業や活動で、市民の方々が多く訪れて楽しく狭山池を活用してもらえるのも、これらの作業のお蔭です。
狭山池まつり
4月下旬に実施されている「狭山池まつり」の前日準備の様子です。
当日の舞台の様子で、多の出演団体がれぞれの演技を披露していました。
池の堤では、多くのブースが設けられて、家族連れや友たちが、買い物などを楽しんでました。
下は、夜間のまつりの様子です。かがり火やライトで照らされて、ちょっとした幽玄の世界を醸し出しています。参加する人の数は昼間ほどではないにしても、多くの方が集まって楽しんでいました。
狭山池を中心にした大阪狭山市のさまざま活動によりほんとに大阪狭山市民が1つになれる時があるのを感じられます。
狭山池での楽しみ
休日によく見かける連凧
こんなたくさんの凧を揚げられるのは、この狭山池があってこそ。市民の方の楽しみの1つです。もちろん、見る方も。
11月に行われる産業まつり
市内の農家で収穫された野菜類には市民の方々が殺到。あっという間に、売り切れの野菜も。
また、行政やボ―イスカウト、陶器、クラフトのブ―スも。
クリスマスバージョンの飾り
冬の写真スポットです。
冬の夜のイルミネーション
さやりんも輝いていますね
北堤の桜並木が光のオブジェに
お花見
大阪府内のお花見スポットです。
花が咲いても
ウォーキングならここ。
多くの愛犬も登場しています。
蝶の森
春には、多くの 蝶が舞えるように設置された森。
多くの草花が咲きほこります。
雪の狭山池
湖面に降った雪は融けてしまいましたが、水が引いた土の上は雪面に、これを見られるのも、楽しみの1つです。
ラバーダック
春には、北堤前にラバーダックがお目見え。狭山池の大きな住人です。いや、住鳥です。
4.こんなところに、こんなものが
狭山町の発見!
狭山ニュータウン大野台に右の写真のような住所表示板がありました。「大阪狭山」ではなく「狭山」としか書かれていません。旧狭山町時代のものです。
昭和62年に大阪狭山市に昇格したので、今年(平成29年)で市制30周年にもなる大阪狭山市ですが、狭山ニュータウン内には、まだこういう表示板が残されているんですね。探していて発見できると、何か嬉しい気持ちになります。
これはどうでしょう。消火栓にははっきりと「狭山町」と書かれています。
また、次ページの写真も同じく「狭山町」ですね。
いずれも永く使えるものですので、さしあたって「大阪狭山市」名のものと差し替える必要はありませんね。
探してみると、こういう物も道路に設置されていました。境界の標示です。
まだまだ探すと見つかるのでしょう。
普段は何気なく歩いていても、ちょっと意識をするとこんなものが見つかるのです。このように街をウォーキングしていて、旧狭山町時代のものを見つけるのも楽しいものです。
路上での発見!
先ほどの路上での発見がありましたので、もう少し路上を探してみると、今度は、右の写真のものがありました。マンホールです。中央には市章で、ひらがなの「さやま」の「さ」を図案化し、上の山形は「山」を、下の円形は市民みんな仲良くということを表しています。そして未来に向かって羽ばたいていく大阪狭山市の姿だそうです。また、周囲は、市の花のツツジと市の木のサクラをあしらっているのです。
でも平成28年には、右のマンホ―ルの蓋が設置されはじめました。特に、狭山池の東側の下高野街道から中高野街道にかけての道路で見られます。
この平成28年というのは、狭山池が築造されてから、ちょうど1400年になるので、それを記念して造られたものですね。狭山池と龍神社、そして奥には狭山池博物館と桜並木が描かれています。まさに狭山池を象徴するマンホールの蓋になっています。これから少しずつ、この蓋と取り替えていくのでしょうか。
このように新しくてきれいなマンホールの蓋を探し歩くのも楽しいかも知れません。
ついでに、大阪狭山市のではありませんが、下のよう なものも発見しましたので、掲載しておきます。
カラフルなコミュニティバスを発見!
さやりんの発見!
大阪狭山市役所の玄関前には、右の写真のユルキャラが立っています。大阪狭山市民の方なら皆さんご存じと思います。「さやりん」ですね。
このキャラクターは、2009年一般公募により決定した、大阪狭山市をイメージするマスコットキャラクターです。瞳が狭山池の水面を象徴する青、髪は大阪狭山市の木である「サクラ」の花をモチーフに、元気で明るい「竜の子」をイメージしているそうです。
このキャラクターを一般使用する際には、市役所に申請許可が必要ですが、市内を巡っていると多くのさやりんに出会いました。下にその一部を掲載します。
これなどは、市内の至る所で出会えますね。その他に も市内を歩いていると次のページのさやりんにも出会ったので集めてみました。
大阪狭山市で見つけた崖?発見!
2016.1
大阪狭山市内で、こんなところがありました。
まるで映画「インディジョーンズ」にでも出てきそうな崖ですね。大きな洞窟まで。
場所は西山台。実は、高さが50cmほどの宅地です。雨のいたずらで、このようなものができたのですね。季節が冬だったので、草が生えていないのが良かったようです。
でも、どう見ても、ほんとに大きな岩山ですよ。
地車小屋発見!
まずは、山本
シンプルですが、勢いを感じますね
続いて、川向
引き綱が、川の流れを表しているのでしょうか
次は、前田
なかなか可愛らしい感じですね
次は、大野です
安定感が抜群
狭山の地車小屋
文字がないのが寂しい
最後は池之原
まるで、狭山池の龍がうごめいているようですね
この6か所の小屋しか見つけられませんでした。今後、見つかれば追加しようと思っています。
壁画も発見!
今熊3丁目で見つけたヤシの木
茱萸木4丁目で見つけたカラオケやさん
大野台のクラフトハウス
今熊1丁目のプール
半田の保育園
池尻中の美容室
狭山駅前の花屋さん
金剛のパンやさん
半田の串カツや
今熊1丁目の狭山西小学校
狭山3丁目の東幼稚園
半田の料理や
半田の海鮮料理や
金剛駅前のハウジング
金剛2丁目の住宅
山本のたんぽぽの丘
池尻の池尻保育園
鍵やさん
今はこの壁画は見られなくなりました
立体物の発見!
ハンバーグ専門店
へい!
いらっしゃい!
茱萸木3丁目
フライドチキンの店は、
私におまかせあれ
大野台の理髪店
シュワッチと
刈り上げるぞ!
今熊のパンとピザの店
ピザは、俺にまかせとけ!
大野台の
文具店
石の招き猫ですぞ
茱萸木のバイクや
オー、よう来てくれた
半田5丁目の
高所作業車のレンタルや
女性も楽々、
高所作業ができるよとの
コマーシャル?
今熊の「三都の石舞台」
何でここに
こんなものがあるんでしょうね
整骨院
まさに骨を整えてくれるんでしょうね
西山台1丁目南第一小学校前
横断中は手を上げて
大野台の鍼灸院
こんなところにモアイ像が・・・
大野台5丁目の住宅
自由の女神は
どこにでもいるんですねぇ
東野中の住宅
トーテンポールが住宅に
西山台
こんなところに山の標識?
西山台の美容室
仲良くブランコか
大野台の住宅
カエルさんがお出迎え
茱萸木の弥勒菩薩
大阪狭山市の半跏思惟像
岩室2丁目の老人保健施設
何とでっかいヤカン
池尻保育園
クジラのいる保育園
西山台
豚の風見鶏、否、風見豚とは珍しい
西山台1丁目の住宅
巣箱?
それとも標識?
馬の郵便受け
家の中まで新聞を運んでくれるかな
今度は、
欧風住宅の郵便受け
池尻北
住宅の壁に自転車が・・
付録:気になる地名の話
先に、「おわり坂」、「茱萸木」、「今熊」について触れましたので、ここでは、それ以外で気になった地名について書きます。
その第一番は、
亀の甲。
この交差点に来るたびに、何故「亀の甲」なんだろうと思っていました。
「狭山の地名五十話」(大阪狭山市役所)によると、狭山池に生息する亀がこの地にたくさん上がってきて甲羅干しをしており、この亀の形とこの地の地形が似ていたこと、干ばつによく襲われて耕地に亀の甲羅の文様のような硬いひび割れが生じたことなどが書かれていました。
また「大阪狭山市史 第12巻 地名編」では、上の説とともに、「狭山池改修控絵図」には六角形をした狭山池の中島が描かれ、そこに「字亀甲山」と記されており、この中島に由来したとする説も掲載されています。
いずれにしても詳細は不明で決定打とはなりませんでしたが、実際に狭山池に生息していた亀との絡みだけはあったようです。
続いては半田。
日本書紀」崇神天皇条に「河内の狭山の埴(はに)田(た)水少なし」という記事の「埴田」の地名が変化したもので、 「埴」とは、赤色の粘り気のある粘土を指しています。
また、「狭山の地名五十話」には、その他に、この地域の半分が水田として開かれていた状況から生まれたのかもしれないと書かれています。
さて、現在では残されていない地名に新宿があります。なぜ、こんなところに新宿が・・・。
「大阪狭山市字図」の中央西よりのところに「新宿」と書かれています。その南側の道が中高野街道で、その街道を挟むように赤線で囲んでいるところが、「新宿」と呼ばれていた地域です。大阪狭山市駅の西側に伸びています。
東京にある「新宿」は、本宿に対して江戸時代に新しく設けた宿場のことです。でも大阪狭山市の新宿は、宿場ではありません。本町に対して「新しくできた町」をさしています。
新しいといっても、慶長13年(1608)のことです。片桐且元が狭山池を改修した際に、樋守として家来30人を住まわせました。そこを「新宿」と呼んだのです。その後、さらに7人を狭山池の西側にも住まわせ、そこも新宿としています。
最後は、ここ、浦之庄。
狭山池の南東端の東にある交差点名として残されていました。
「浦」のつく地名は、大阪狭山市内には数多くありました。「浦ン田」「東浦」「西浦」「北浦」「堤ケ浦」等々ですね。「浦」とは、台地に挟まれた谷底低地をそう呼んでいると「狭山の地名五十話」に書かれています。しかし、写真のプレートのあるあたりは、低地というよりも高地にあたりますが、その西方は低地です。「浦」にあたる低地は肥沃な土地で収穫量も多いようです。「庄」とついているので、かつてこのあたりは荘園だったのかもしれません。
本冊子を書くにあたって、参考にした書籍類を下に並べておきます。
・狭山町史 第1巻(狭山町役場 1967.11.5)
・大阪狭山市史要(大阪狭山市役所1988.10.1)
・大阪狭山市史 第1巻(大阪狭山市役所 2014.3.31)
・大阪狭山市史 第7巻 石造物編(大阪狭山市役所 2006.11.1)
・大阪狭山市史 第12巻 地名編(大阪狭山市役所 2000.3.31)
・狭山の地名五十話(大阪狭山市役所 1992.3.30)
・おおさかさやまの歴史(大阪狭山市教育委員会 2014.12.19)
・大阪狭山市の歴史(大阪狭山市教育委員会 2015.3.31)
・大阪春秋 №162 特集「大阪狭山」(新風書房2016.4.15)
大阪狭山市立郷土資料館図録
・行基と狭山池(1993.10.16)
・狭山を変えた鉄道(2002.10.5)
・狭山藩北条氏(2016.3.19)
・末永雅雄先生(2016.12.17)
大阪府立狭山池博物館図録
・狭山池復活(2009.9.26)
・狭山池博物館への招待(2015.3第4版)
おわりに
まとめてみると、とりとめもないものになってしまった感があります。もっと歴史にしぼってまとめられればよかったのですが、ウォーキングの中で見たもの、見つけたもの、面白いと感じたものなどを並べたので、こんなものになりました。
その市にずっと住んでおられる方なら、その方なりの思いのこもったもの、深く関わってきたものが中心になるのでしょうが、市外からぽっと飛び込んだだけなので、どうしても表面的なものになり、深められませんでした。ま、市外の人からはこんな風に見られているのかということですね。
家に戻って、見たもの、疑問に感じたものなどを自分なりに調べては見たのですが、分かる範囲で記載はしたつもりです。調べて、あ、なるほどと思い、またその地に行って写真を撮ってということを繰り返しましたので、現地の様子は手に取るように分かってきました。この冊子を作り始めた時よりも、一層、大阪狭山市に親しみを感じるようになった次第です。
冊子をご覧頂いて、間違いや、勘違いしている所、もっとこんなところがあるといった新たなものがありましたら、教えていただければ幸いです。
土肥 俊夫(どい としお)
昭和25年(1950)3月 堺市に生まれる。
昭和48年(1973)4月 堺市内で教職に就く
平成20年(2008)3月 堺市内での教職を退職
平成20年(2008)4月 堺市内でウォーキングを開始
平成27年(2015)9月 大阪狭山市でウォーキングを開始
平成28年(2016)3月 大阪狭山市でのウォーキングを終了
大阪狭山市ウォーキング
発 行 平成29年9月
増補版発行 平成30年1月