登り窯跡から泉ヶ丘駅にもどり、駅をこえて竹城台一丁団地と二丁団地の間の道路を北に歩きます。「いずみの郷」を左におれて道なりに行くと、やがて左側に多治速比売神社が見えてきます。
この神社は、530年ごろにつくられたと伝えられていますが、明治初めごろまでは、総福寺といっしょになっていました。しかし、神仏分離令が出されて神社だけになったようです。境内には13社の社があり、合わせて「荒山さん」とよばれています。
おまつりしているのは多治速比売命という女性の神様で、日本武尊の妻ともいわれています。日本武尊については、はとぶえ27回の「大鳥大社」でも書きました。尊が相模の国から上総の国に向かう途中で、海が荒れて船が沈みそうになったときに、妻の弟橘媛が水の中に入って波をしずめたことが、古事記という昔の本にのっています。この弟橘媛が多治速比売命だというのです。ほかにも、スサノオノミコトや菅原道真もまつられています。
ここの本殿は、室町時代の天文年間(1539~1541年)に再建されたものですが、昭和29~31年に解体して修理をしたときにそれがわかったようです。本殿は三間社入母屋造といわれる形式のもので、正面に千鳥破風があり、大きな向拝があります。向拝とは、屋根の一部が前につき出しているところのことですが、そこには蟇股とよばれる上の重さを支える組物が付けられています。蟇股には竜・雲・波・ボタン・唐獅子などの掘り物があり、さらに向拝の支えの木には、芭蕉(バナナの木)にカマキリという非常にめずらしい掘り物がされています。本殿は国の重要文化財に指定されています。
昭和38年に泉北ニュータウンが造成されるときに、この社もその区域に入ることになり、一部は荒山公園として整備されました。この荒山公園には1400本もの梅が植えられて2月~3月には梅がいっせいに咲きほこっています。