西高野街道から国道310線に入り、さらに梅北南の信号から南東におれてさらに右におれていくと、その先には百舌鳥八幡宮があります。
毎年9月の仲秋の名月のころに行われる「月見祭」で、何台ものふとん太鼓が地元の人たちにかつがれてこの八幡宮に奉納されるのを見られた人は、たくさんおられると思います。ふとん太鼓をかついでいきおいよく階段をかけあがるのはとても勇ましい感じがしますね。
この八幡さんは、神功皇后が朝鮮半島の国との戦いからもどってこられたときに、この百舌鳥の地で人々を守っていつまでも平和な国をとちかったそうです。欽明天皇(532~571年)の時に、この地域を「万代」と名づけられて神社を建てたと、伝えられています。
1399年の大内義弘の乱や1615年の大坂夏の陣など、重なる戦のためにしだいにさびれていきました。しかし、この地域の人たちにとって大事な神社であることはかわりません。そんな中、明治8(1875)年明治政府の大久保利通が、この神社の拝殿の額を書かれました。また、江戸時代には、大坂城代がかわるたびにこの神社におまいりに来られていましたし、毎年行われている月見祭には、堺町奉行も来られたとのことです。
境内には多くの木が立っていますが、中でも拝殿の前のクスノキは、樹齢が800年という古いもので、みきは5メートルあまり、高さは25メートルあり、大阪府の天然記念物に指定していされています。
なお、「月見祭」というのは、農作物がよく実りますようにという願いと、満月とをお祝いするお祭りで、まわりの地域から重さが30トンもあるふとん太鼓を約70人の人たちがかつぎます。