前回の野田城址からずっと北東の方向に歩きましょう。大阪狭山線をさらに北上します。美原区に入り阪和和自動車道を東に向かいます。国道309号線をこえると左に古墳が見えてきます。これが黒姫山古墳です。
全長は114メートル、後円部の直径が64メートル、高さは11.5メートルの前方後円墳で、5世紀(401~500年)の中ごろにこのあたりに力のあった豪族の丹比氏によってつくられたと考えられています。
1947年から調べたところ、この古墳から24もの鉄製の甲冑(よろい)をはじめ、11個の冑、13個のひさしのついた冑などたくさんの武具が見つかりました。こんなにも多くの甲冑が一つの古墳から見つかったことは今までになく、わが国で最も多かったようで、昭和32年(1957)に、国の史跡に指定されています。これらの甲冑は、近くにある「みはら歴史博物館」に展示されていますので、いつでも見ることができます。
また、古墳の上段には359本もの円筒埴輪がならべられていました。中世には「とりで」として利用されており、そのために土をもりあげて段を高くしていました。
この古墳の東側には、たてあな式の石室などが実物大で復元されていて、実物の大きさを知ることができます。古墳のまわりを歩くことができ、とちゅうには一部で円筒埴輪がならべられているようすも復元しており、できた当時の古墳のすがたを想像しやすくしています。まわりは公園になっており、ゆったりとした気持ちで、昔の人たちに思いをはせながら、古墳をながめられるのです。
なお、この北にある広国神社には、この古墳の石棺(石で造ったひつぎ)のふたが残されています水路の橋に使われていたようです。