阪堺電車「宿院」ていりゅう所から、フェニックス通りを東に少し歩くと、フェニックス通りの南寄りに「旧宿院跡」という石碑と「住吉 大鳥両大社頓宮」という石碑が見えてきます。「道ばたではなくてこんな道路の中になぜ」と思われるかもしれません。また、そもそも「『宿院』て何?」と思われたかもしれません。今回は、この二つの疑問について書いていきましょう。
この「住吉 大鳥両大社頓宮」の碑の前には「宿院頓宮」があります。頓宮というのは一時的に神様が休まれるところという意味です。この「宿院頓宮」は住吉大社の御旅所ともいわれているところで、年に一度、7月31日から8月1日に、住吉大社の神様がみこしに乗って大和川をわたり、この頓宮にこられて、休まれるところだったのです。この行事を「おわたり」といいます。
いつごろから御旅所が堺のこの場所におかれたのかは分かりません。第二次世界大戦後にフェニックス通りが大きく拡げられたために、この頓宮の境内を横切ることになり、境内は一挙に六分の一にまでせばめられてしまいました。そのため、石碑はもとにあった通りの中に建てられることになったのです。そして、この住吉大社の神様が頓宮まで旅をされてきて宿にするところが「宿居」とよばれて、それが「宿院」となったようです。
この頓宮の境内に「飯匙堀」とよばれる堀があります。堀が、ご飯を食べる時のさじに似た形をしているのでそうよばれているのです。ここは、海幸彦、山幸彦の話に出てくる潮干珠をうめたところといわれていて、雨がいくらふっても水がたまらないそうです。
また、明治時代になって、大鳥大社からもこの頓宮におわたりをするようになり、現在は、7月31日に大鳥大社から、8月1日には住吉大社からのおわたりがおこなわれるようになりました。