74 河井醉茗かわいすいめい

河井酔茗生家の跡

 はんかい電車でんしゃ高須たかす神社じんじゃ」をおりて西に進むと紀州きしゅう街道かいどうに出ます。この街道を南にしばらく歩いて行くと、左側に写真の石碑せきひと出あいます。

河井酔茗

 みなさんは、この「河井酔茗」という人物を知っていますか。堺の有名な詩人しじんです。河井酔名は、明治7年(1874)に北旅きたはたちょうに生まれました。18さいのときに「少年文庫ぶんこ」などに詩を送り、20歳のときには「き弟」が初めてのります。その後、「少年文庫」の記者として詩のコーナーを担当たんとうしています。詩集ししゅうをいくつも出したり、詩人しじん協会きょうかいをつくったりするなど、詩が広まるのに力をそそぎました。

ゆずりは

 かつての堺の子どもたちが使っていた六年生の国語の教科書きょうかしょに、河井酔茗の「ゆずりは」という詩がのっていました。その一部をのせましょう。

「こどもたちよ、これはゆずりはの木です。
このゆずりはは 新しいができると
入れ代わって古い葉がちてしまうのです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世のおとうさんおかあさんたちは 何一つ持っていかない。
みんなおまえたちにゆずっていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命いっしょうけんめいつくっています。
今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちはのびる。
とりのように歌い花のようにわらっている間に
気がついてきます。
そしたらこどもたちよ
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。」
という詩です。今から40年も前の六年生たちがこの詩を勉強べんきょうしていたのです。

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