75 浅香山あさかやま浄水場じょうすいじょうと、つつじの通りぬけ

 JR阪和はんわせん浅香あさかえきをおりて西へ向かうと、かつてあった浅香山浄水場の跡地あとちに出ます。浄水場というのは、よごれた川の水をめるようなきれいな水にするための施設しせつで、明治めいじ43年(1910)に堺市内ではじめてこの浅香山につくられたのです。ここから堺市内にきれいな水を送りはじめたのが、全国でも18番目だったようです。

ツツジと水道水のタンク

 この浅香山浄水場のちんでん池の堤防ていぼうに、昭和しょうわ12年(1937)にヒラドツツジがえられました。沈でん池の堤防をつよくして守るためと、緑化りょっかのためでした。毎年、4月末から5月のはじめにかけて、りっぱにそだったツツジがきれいにきほこりました。写真しゃしんのように、とてもきれいだったので、昭和31年(1956)から、ゴールデンウィーク前後に浄水場内を一般いっぱん公開こうかいして、人々がたのしめるように、六百メートルにわたってツツジの通りぬけを始めました。

水道事業発祥之地の碑

 もともとは、大和やまとかわの水を飲めるようにきれいにする施設でした。しかし、市内の人口がえるとともに水を使うことも増えてきたために、大正たいしょう13年(1924)には大阪市から水をわけてもらうことを始めました。それでもいつかず、昭和26年(1951)には大阪府営おおさかふえい水道すいどうから沈でん水を、昭和30年から浄水じょうすいをわけてもらってきました。

 さらに悪いことに、大和川ぞいの地域ちいきでは住宅じゅうたく工場こうじょうちだして、よごれた水をそのまま川に流すようになり、大和川の水がとてもよごれ出し、わが国でも一番きたない川になってしまいました。そこで、大和川から水をくむのをやめて大阪市と大阪府からの水にたよることになりました。それにともなって、浅香山浄水場はいらなくなって地下の配水施はいすいしせつだけになりました。

浅香山つつじ

 地上の施設はなくなり、平成24年度から「浅香山つつじまつり」として、2500本のつつじの通りぬけをしています。

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