写真のマークを見たことはありますか。何のマークかは知っていますか。実は、堺の市章です。「市章」というのは、市のシンボル、そのマーク一つを見ただけで「どこの市」と分かるために作ったものです。堺市役所にこのマークのえがかれた旗があがっているのを見たことがあるかもしれませんね。
この市章は、明治28年(1895)につくられました。堺の町が市になったのは、全国に市制町村制がしかれた明治22年のことです。それから6年後に市章がつくられたことになります。
では、このマークが、なぜ堺市を表しているのでしょうか。堺の町は、平安時代ごろから地名としてよばれていたことは、以前にも書きましたが、もともとは「境」をあらわしていました。つまり境界です。「となりの家との境」などと言うことがあるでしょう。わが国は、かつては多くの国に分かれていました。国といっても現代の国とはちがって、大名がおさめていた国のことです。でも堺の町は、どこの国にも入ってはいませんでした。徳川幕府が直接おさめるために「直轄地」とよばれていました。そのために堺には堺奉行所がおかれて政治をしていたのです。堺の町の北には「摂津国」、東には「河内国」、南には「和泉国」と3つの国にかこまれていました。ちょうど、三つの国の境にあったといってもいいでしょう。
明治22年に市になった堺市は、もとの3つの国の境に発展した町であったので、「境」つまり「堺」とよばれていたのです。そして、市章も、3つの「市」という文字を組み合わせてつくられたのです。ちょっとみると、フォークを3本組み合わせたように見えますが、そうではなく、「市」が3つなのです。
これから町の中を歩くときに、まわりにあるものをしっかり見てください。この市章を見つけるかもしれません。「堺市を見つけた」といえるのですよ。