前回の「祥雲寺」が建つ前にあった「海会寺」です。阪堺電車「御陵前」停りゅう所から東へ行くと南宗寺があります。その南宗寺の中に海会寺はあります。
この寺は、元弘2年(1332)に建てられました。そのころは、今の堺区の開口神社(大寺さん)の西門の前にありましたが、その後、荒れはててきたために、古渓宗陳が、天正13年(1585)に現在の祥雲寺のところに建てなおしました。
それも大坂夏の陣(1615年)で焼けてしまい、沢庵和尚のおかげで、現在のところにうつって再建されています。現在でも大寺さんの西門のところに、金龍水とよんでいる井戸が残されていますが、この井戸はもともとは海会寺のものだったのです。
山門をくぐると、正面に門廊(廊下がありその途中に門が造られている)があり、左に本堂と庫裏があります。庫裏というのは、お坊さんが生活するところです。このお寺では本堂と庫裏とが一つの建物になっており、江戸時代の建物としてはたいへんめずらしい建て方になっています。これらの、門廊、本堂、庫裏は国の重要文化財に指定されています。
また、この寺に保存されている重要なものに「牡丹花詩集」があります。これは、海会寺を開いた乾峯士曇をはじめ、三十三人の禅宗のお坊さんたちが「牡丹」という題でつくられた漢詩を集めたもので、文和5年(1356)に乾峯が序文を書いており、現在の書道や文学の歴史でも重要なものになっています。
この寺のお坊さんだった季弘大叔が、文明16年(1484)から2年間を「庶軒日録」という日記に表しています。当時の堺の南蛮貿易でのにぎわいや、栄えていた堺の町のようすがわかるただ一つの資料となっています。