国道26号線にそって、石津川の北側に石津神社があります。電車では阪堺電車「石津」停りゅう所をおりて東に向かって歩いて行き、国道26号線の歩道橋をこえたところにこの石津神社はあります。
この神社は、むかし、戎神がこの場所に五色の石を持ってこられて、ここにその石を置かれたそうです。そこで「石津」の名前がつけられたと言われています。そこで、この神社は、日本で一番古い戎宮とされているそうです。
この神社がつくられたのは紀元前475年といわれていますが、この時代はまだ縄文土器の時代の終わりごろなので、そう言い伝えられてきたことが、神社に残されているのでしょう。また、垂仁天皇の時代(紀元前29年~紀元後70年)には、当麻蹶速と力くらべをして勝った野見宿祢が、この神社の神主になったことになっています。この二人の力くらべが、現在の相撲の始まりとなっているんです。また野見宿祢は、天皇がなくなられたときに、側に仕えている家来がいっしょに死ぬかわりに埴輪をつくってそれにかえたとも言われており、そのことから宿祢は、土師部の祖つまり、土師部をおこした人とも言われているのです。この野見宿祢神もこの神社でおまつりをしています。
孝謙天皇が天平勝宝元年(749)に来られたときに、神主は「藤原」の名前をもらい、狭山と野田の二つの村をこの神社の領域としています。境内が一番大きな時には、一平方キロメートルの広さをもっていたようです。
この神社の鳥居のそばには大きなクスノキがそびえています。高さが14メートル、幹のまわりが6.21メートルもある立派なものです。また本殿の前のクスノキは、高さは15.5メートル、幹のまわりは4.36メートルもあり、共に堺市の保存樹木に指定されています。