81 石津いしづ神社じんじゃ

 国道26号線にそって、石津川の北側に石津神社があります。電車でははんかい電車でんしゃ「石津」ていりゅう所をおりて東に向かって歩いて行き、国道26号線の歩道ほどうきょうをこえたところにこの石津神社はあります。

 この神社は、むかし、えびすしんがこの場所に五色ごしきの石を持ってこられて、ここにその石をかれたそうです。そこで「石津」の名前がつけられたと言われています。そこで、この神社は、日本で一番古い戎宮えびすのみやとされているそうです。

石津神社

 この神社がつくられたのは紀元前きげんぜん475年といわれていますが、この時代はまだ縄文じょうもん土器どきの時代の終わりごろなので、そう言いつたえられてきたことが、神社にのこされているのでしょう。また、すいにん天皇てんのうの時代(紀元前29年~紀元後70年)には、当麻蹶速たいまのけはやと力くらべをして勝った野見宿祢のみのすくねが、この神社の神主になったことになっています。この二人の力くらべが、現在げんざい相撲すもうの始まりとなっているんです。また野見宿祢は、天皇がなくなられたときに、そばつかえている家来けらいがいっしょに死ぬかわりに埴輪はにわをつくってそれにかえたとも言われており、そのことから宿祢は、師部じべつまり、土師部をおこした人とも言われているのです。この野見宿祢神もこの神社でおまつりをしています。

天然記念物の大楠

 こうけん天皇が天平てんぴょうしょうほうがん年(749)に来られたときに、神主かんぬしは「藤原ふじわら」の名前をもらい、狭山さやま野田のだの二つの村をこの神社の領域りょういきとしています。境内けいだいが一番大きな時には、一平方キロメートルの広さをもっていたようです。

 この神社の鳥居とりいのそばには大きなクスノキがそびえています。高さが14メートル、みきのまわりが6.21メートルもあるりつなものです。またほん殿でんの前のクスノキは、高さは15.5メートル、幹のまわりは4.36メートルもあり、共に堺市の保存ほぞん樹木じゅもく指定していされています。

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