南海本線「七道」駅から西に五百メートルほど歩くと、月洲神社があります。
このあたりは、宝永元年(1704)に大和川が現在の川すじに付けかえられた後、川が運んできた土や砂がたまってできた土地でした。享保2年(1728)、河内国丹北郡油上村(現在の松原市)に住んでいた土橋弥五郎さんたちは、ここを新田として開発しようとしました。しかし、たびたび災害がおこって開発はなかなかすすみません。そこで、無事に開発が仕上がるようにと願って、元文2年(1737)、土橋さんは月洲神社を建てました。
それ以後、天保5年に、深井の大地主だった外山定五郎さんたちによって再建され、この地域の人人の氏神さまとしてまつられてきています。
また、田守神社は、月洲神社からさらに600メートルほど西に行った、大和川の近くにあります。
やはり、月洲神社と同じように大和川が付けかえられてから、土や砂がたまってできた土地です。このあたりの新田を開発しましたが、延享2年(1745)に、その氏神様として天照皇大神をはじめとする多くの神様をまつったのがこの神社のはじまりとされています。その後、弘化4年(1847)に社殿がつくられて、人々に地域の神社として親しまれてきています。
この神社内には、「力石」とよばれる大小の丸い石が15個ならべられています。大和川が運んできた土や砂でうまった川の底をほったり、堤を高くしたりする重労働のくりかえしで、人々はたいへんでしたが、安全と災害を避ける願いから、力石を持ち上げる競争が江戸時代から行われてきています。