華林寺
阪和線津久野駅から南へ行くと家原大池体育館にでます。そこから南南東に1キロメートルほど進むと、角に立派な山門のあるお寺があります。そこが華林寺です。
この寺は、行基絵伝によりますと、僧行基が13才のときに、行基の母方の蜂田連が氏寺として建てたお寺なので、蜂田寺ともよばれていました。その後、慶雲3年(706)に行基が39才のときに、なき母親を供養するために華林寺を再興したとされており、行基の母方のお寺でしかも母親をおまつりされていたことが分かります。
それ以降は、南北朝時代や戦国時代の戦をへておとろえていきました。さらに大坂冬の陣で焼けてしまいました。延宝7年(1679)に僧広恵が建てなおされました。お寺には、行基13才のときの絵が残されています。
お鈴の宮お:蜂田神社
華林寺から南へ四百メートルほど行くと、左手にこんもりとした森が見えてきます。そこが蜂田神社です。
この神社はいつできたのかははっきりしていませんが、蜂田連の祖先の天児屋根命をまつっています。行基の母方の先祖ですね。地域では「お鈴の宮」として親しまれている神社ですが、これは、蜂田連が土の鈴を12個つくり、春の初めに神様におそなえをしてその音色の良し悪しでその年を占ったという言い伝えによるものです。
それにちなんで、毎年節分には境内の土を使って12種類の鈴をつくって「鈴占神事」が行われています。
なお、もともとこの神社は百メートルほど西にありましたが、永禄11年の家原城での戦いがもとで現在の場所に移ってきたようです。