浜寺昭和小校区の史跡

 


堺市立浜寺昭和小学校

〒592-8345 大阪府堺市西区浜寺昭和町2丁282

 

 

 

 

 

 

 

 

1.浜寺公園:浜寺公園町

 1873年につくられたわが国最初の公園です。当時の浜寺の海岸は、白砂青松を謳われる松林が広がった風光明媚なところでした。

 なお、写真左端の建物は大阪府で一番古い交番です。

2.せきしょう:浜寺公園町

 明治維新後、生活に困った武士を救うために、堺県は松林を切って売っていました。この地を訪れていた大久保利通公 は、この松が消えるのを惜しんで、「おとにきく 高師の浜の松が枝も 世のあだ波はのがれざりけり」という歌を詠み、堺県知事に松を切るのをやめさせたのです。1897年に、「惜松碑」が建てられました。

 

3.与謝野晶子歌碑:浜寺公園町

      「ふるさとの 和泉の山を きはやかに
           浮けし海より  潮風ぞ吹く」
と刻まれたこの歌碑は、浜寺公園内に建てられた与謝野晶子の歌碑です。1900年に、浜寺公園内にあった料亭「寿命館」で、与謝野鉄幹を呼んでの歌会がありました。そこにほう昌子しょうこが出席しましたが、この歌会がきっかけとなって鉄幹と昌子との仲が急速に接近し、結婚しました。この昌子が後の与謝野晶子です。

 この二人の出会いがあった場所が、浜寺公園だったということで、この地に晶子の歌碑を建てることになったのです。1966年7月17日に堺市では初めての晶子の歌碑が建立されました。なお、碑のデザインは、「わが恋を みちびくほしと ゆびさして 君ささやきし 浜寺の夕」という晶子の歌をイメージしたものです。

4.浜寺公園駅舎:浜寺公園町

 1907年に、辰野金吾博士が設計されましたが、辰野氏といえば、東京駅舎や中之島公会堂の設計者としても有名ですね。現在、わが国の私鉄最古の駅舎で、1998年には、同じ南海電車の諏訪ノ森駅舎とともに、国の登録有形文化財となっています。

5.浜寺海水浴場跡:浜寺公園町

 1897年に現在の浜寺公園まで南海本線が開通し、1906年にはこの海水浴場が誕生しています。水練学校も生まれています。1962年に臨海工業地造成のために海は埋立てられて、海水浴場は廃止されましたが、それまで多くの人たちが訪れています。

 

6.アメリカ進駐軍キャンプ跡地:浜寺公園町

 第二次世界大戦で敗戦となったわが国に、アメリカ軍がキャンプ地として選んだのがこの浜寺公園でした。公園の松林を 切り倒して住宅を造っており、日本人は中に入れませんでした。海水浴場が開設されるときは、木造の橋を造りそこを海岸まで渡ったのです。フェンスには写真の看板が設置されていました。1958年に日本に返還されました。

7.近江岸邸:浜寺昭和町

 堺市の浜寺一帯は、大正から昭和初期に造られた別荘地の一つでした。こ宅は、1934年にウィリアム・M・ヴォーリズによって設計され、翌年に竣工しています。洋式のスパニッシュスタイルですが、内部には和室もあるようです。 1998年に、堺市の登録有形文化財に指定されています。

8.桜道浜寺昭和町・浜寺元町

 1918年に区画整理によってつくられた浜寺地域宅地に、東端に自動車の通れる幅広い道路がつくられました。その両側に桜が植えられて、桜並木がつくられました。戦後は、桜の木も次第に枯れてしまい、現在は歯医者にその名が残されているだけです。



※昭和10年代の桜道



 

9.大鳥北浜神社:浜寺元町

 文武天皇の705年に菅生朝臣小村が勅使としてお祭りし所とのことです。ヤマトタケルの妃の、吉備きび穴戸あなと武媛たけひを祭神としていますが、大鳥大社がヤマトタケルを祭神としていることから、ここには妃をお祭りしたのだといわれています。なお、境内には「大鳥神社御旅所」の石柱が建てられていますが、これは元々浜寺公園内に建てられていたのが、進駐軍が公園を使ったためにここに移されたのです。

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