美木多小校区の史跡


堺市立美木多小学校

〒590-0138   大阪府堺市南区鴨谷台1丁目48-1


 

 

 

 

 

 

 

 

1.多弥たみ神社:鴨谷台

 南北朝時代に楠木正成の守護神とされていました。1577年に織田信長の雑賀さいがしゅう制圧の際に焼かれてしまいました。1592年に楠木一族の和田にぎた道讃により再建されました。1907年に、近くの社を合祀して美多彌神社として改称しています。

 

 

 

2.法華寺:別所

 かつては真言宗の法華寺と法蔵寺の2つの寺があったために、別所はかみしもの2つに分かれました。明治以降に2つの寺は合併して法華寺だけになりました。境内に頼光塚がありますが、鬼という悪党が山中に立てこもったので源頼光が来て攻め滅ぼし、その刀をここに埋めたとされています。

 

3.地名「美木多」

 明治22年の町村制で「美木多村」となりました。昔から、「和田にぎた谷」と呼ばれたところで、天野山金剛寺の荘園で「和田にぎたの庄」と呼ばれていました。これを漢字に書き替えて「美木多村」と名付けられたのです。

 「上」がついているのは、ここに「上村」がありましたが、堺市と合併の際に、現在の西区 に「上村かむら」があったために「美木多」の下に「上」をつけたとのことです。

 


4.貞正塚地蔵:美木多上

 南北朝時代、このあたりの領主だった森貞正にちなんだ貞正塚地蔵です。「北向き辻の地蔵さん」として親しまれていまし たが、盗難に遭い、干ばばつで水がかれた池の底で発見されたといわれています。ニュータウンの造成に伴ってお地蔵さんも泉田中の西方寺に預けられた後、現在のところにうつされています。

5.檜尾塚原11号墳:鴨谷台

 泉北ニュータウンの開発で消滅するところを、ここに移築保存したものです。石室が見えるように再現されています。

 

 

 

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