堺市立百舌鳥小学校
〒591-8032 大阪府堺市北区百舌鳥梅町2丁目498
1.百舌鳥八幡宮:百舌鳥赤畑町
神功皇后が朝鮮半島の国との戦いから戻った時に、百舌鳥の地で人々を守って平和な国をと誓ったのです。欽明天皇のときに、この地を「万代」と名付けて神社を建てたのが始まりです。明治政府の大久保利通が、この神社の拝殿の額を書かれました。
2.月見祭(百舌鳥八幡宮)
毎年旧暦の8月15日の仲秋の名月にかけて、豊作の祈願と満月を祝う風習とが合わさって、神社の月見祭りとなったようで、300年以上の伝統があります。町を練り歩いた後、神社に奉納されます。
昭和6年に建築された木造4階建ての住宅です。ドイツの絵葉書のコレクションをしていた医師の是枝近有氏が設計し、患者だった宮大工が建てたものです。現在は、国の登録有形文化財です。
現在居宅として御使用中ですので、内部は非公開です。
4.にさんざい古墳:百舌鳥梅町
全長290m、高さ22.5mですが、平成24年に墳丘の護岸工事と調査が行われたところ、墳丘の端から5m外側の底から墳丘の裾部分が見つかりました。全長が300mを超えていた可能性が指摘されています。名前の「にさんざい」は、「みさんざい」つまり「みささぎ」が訛ったものではないかと考えられています。現在は陵墓参考地に指定されています。
5.高林家住宅:百舌鳥赤畑町
江戸時代の大規模な庄屋屋敷の構えを残しています。内部の約半分は土間で大きな梁が架けられています。建築当初の天正年間(1573~1592)には屋根が入母屋造りでしたが、18世紀の終わり頃には、現在の姿に整えられています。なお、現在居宅として御使用中ですので内部は非公開です。
6.光明院:百舌鳥赤畑町
729年に、光明皇后によって創建されました。江戸時代の中頃には、大鳥神社神宮寺である神鳳寺の役寺となっています。しかし、1868年の神仏分離令により廃寺となったために多くの仏像や仏画などがこの寺に移されています。
729年に行基により開基されたとしています。南北朝時代には七堂伽藍を有し、足利尊氏も祈願寺としています。1584年の雑賀一揆で焼失しましたが、僧堯俊によって中興されています。
8.尾羽根天満宮:百舌鳥梅町
およそ300年前に、道明寺天満宮の分祀として祀られました。この地には尾羽根庵があり道明寺から派遣された尼さんが御守りされていましたが、明治の神仏分離により、鎮守さんは百舌鳥八幡宮に合祀され、天満宮だけこの地に残りました。
また、近くには江戸時代の石塔や道標などが、まとめて保存されており、昔の村人たちのいい道しるべになっていたようです。
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