金岡小校区の史跡



堺市立金岡小学校

〒591-8022  堺市北区金岡町1254番地


 

 

 

 

 

 

1.金岡神社:金岡町

 885~889年頃に、人々の安全と豊作とを願って住吉大神をお祀りしたのが始まりです。このあたりに住んでいた巨勢こせの金岡という絵師は、絵の仕事をする最高の地位につき、大和絵という日本画のもとになる絵の様式をつくりました。985年頃、天皇の命で巨勢金岡をこの神社で祀るようになり金岡神社と呼ぶようになりました。

2.金岡淵:金岡町

 絵師の巨勢金岡筆洗いの池と伝わってきたところです。このあたりに優れた絵をかく技術をもった河内絵師が住んでいました。その中で「絵所長者」という絵画を担当する役所の最高位についた人物が巨勢金岡です。

 

 

3.竹内街道

 わが国最初の官道で、北区を東西に横切っています。中央環状線から少し南を通り金岡小学校の前を通り、金岡神社の前で「難波なにわ大道おおじ」と交わり、大泉緑地前から飛鳥につながっています。かつて遣唐使たちがこの道を通って飛鳥まで最新の文化を運んでいたのでしょう。

 

 

 

※金岡小学校壁面の「竹之内街道に沿う家並」図

4.金岡町祖先溜池総供養宝筐印塔ほうきょういんとう:金岡町

 金岡町は、祖先や溜池に恩恵を被ってきました。しかし昭和37年の九頭神池をはじめとして、町内の溜池を埋め立ててきたことから、この溜池に供養するとともに、金岡町の発展を祈願して、町民による写経を納筐して、昭和55年に宝筐印塔を建立しています。

 

 

 

5.長曽根神社:長曽根町

 八幡大神と牛頭天王を祀っています。創建は不明ですが、長曽根の氏神として信仰を集めてきました。本殿は1720年の建立で、木造の狛犬は1791年につくられました。

 

 

6.観音寺:金岡町

 かつては竹内街道に沿って建てられていました。法道上人が開いたと伝えられています。寛文年間(1661~1673)に再建されて、観音寺と呼ばれたと伝えられています。寺内には、平安時代後期の作と考えられている毘沙門天立像や、1662年造立の不動明王立像などが祀られています。


7.善龍寺:長曽根町

 中世の大寺院「清浄光院」を引き継いだと伝えられています。1285年には、高僧の叡尊が清浄光で堂塔供養や大法会を行っています。近世の善龍寺は大鳥大社の神宮寺でした。厨子に安置されている如意輪観音坐像は、鎌倉時代後期の作風を伝えています。

 

8.金岡神社頓宮 西之宮:長曽根町

 大きなクスノキの下に石の台座があり、秋祭りの時には金岡神社の神霊が、そこに渡御とぎょします。土地の人たちは「西之宮」と呼んでいます。竹内街道を西から金田に向かって帰ってくる時に、この大きなクスノキが目に入ります。これが金田村の玄関になります。

 

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